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「がんを治す力=常識を越える力」11月13日

これまで多くのがん患者さんを見てきて、がんを治すためには世論を超える力が必要だと思う。

世論とは世間一般の意見

世間一般の中では、がん=死が世間一般だ!

なので多くの場合、がんになったらそれは災いのようなもので、その対処はすべて医者や病院に委ねるというのが世間一般の意見だ。

しかし、それで良くなる人がいったいどれだけいるのだろうか?

ほとんどいないような気がする。

良くなる人は、病院で医者に罹っていても、考え方や言動が世論を越えているような気がする。

たとえば、がんになってもまったく気にしない。

この際だから、楽しもう♪

どうせ死ぬんだから、悔いの残らないようにしよう♪

医者は信用せず、自分で治そう♪

これらすべて、世間一般の考え方とはかけ離れている。

なので、世間一般はそれを可笑しいと言ったり、非難したりする。

私が仕事を辞めると言ったときも、世論が大きく前に立ちはだかった。

辞めて食っていけるのか?

世の中そんなに甘くはない。

家族もろとも路頭に迷うには目に見えている。

周りを巻き込むな・・・・・

定期検査に行かないと言ったら 

手遅れになったらどうする?

必ず後悔するぞ!

自殺行為だ!等など

でも私は思う。

通常の時は世論に耳を傾ける必要がある、

多くの意見に耳を傾けようとしなければ、間違えなく孤独を招いてしまうからだ。

それでは、会社や地域のなかで暮らしていくのは大きなストレスが掛かってしまう。

しかし、非常事態の時は世論に縛られていたら、常識の範囲を超えることはない。

だって、書いてその字のごとく、常識に非ずの事態だから。

当たり前のことだが、常識で乗り越えれない事態だから、非常事態なのだ。

なのに、多くの人は常識の範囲を乗り越えることができない。

私は自分の体験、そしてがんから蘇った多くの方とお会いした経験を通して、非常事態のときには世論を越えた新しい考え方や発想が必要だと思う。

人生の中には、世論から反してもやるべき時があるのだ。

それができないから、非常事態に陥ったらそこから脱出できない。

動物は身に危険を感じたら死に物狂いになるが、人間は知識が邪魔してなかなかそれができない。

非常事態に陥ったとき、あれこれ考えず、後先を見ず、なりふり構わず、行動するからこそチャンスが見えてくるのだと思う。

「パニックからの脱出」11月12日

 予期もしなかった悪い出来事が突然襲ってきたとき、人はパニックになる。

癌を宣告されたときなんてその典型で、血の気が引いて目の前が真っ暗になる・・・・

そんなとき、焦ってあれこれ考えたり、動いたりしても益々パニックは大きくなる。

状況に流され自分を見失って状況が良くなるはずがない。

とはいっても、どうしてもパニックになり、じっとしていることもできなくあれこれ考えてしまうのが世の常だ。

10年前の私もそんな状態だったことを思い出す。

すこしでも情報を得ようとネットや本を読み漁った。

その結果得たもの

さらなるパニック状態だった。

自分が思っていた以上に、状況は深刻で良くなっている人はほとんどいないという現実が解ったのだ。

でも、どうすることもできない・・・・

そんなときある本で、余命宣告された末期がんを克服した人が愛知県にいて、いずみの会という患者会の世話役をやっていると知り、その方に会いに患者会の集まりに行った。

そこで見たものは、とっても元気なたくさんの患者さん、目から鱗だった。

どうして、がんになったにも関わらず、こんなに明るく元気なんだろう?と

そんな人たちに話しを聞き、あまり先を見ず、今何をなすべきか?を自分で考え決めて、それを淡々とやりつづけることが大切だとわかった。

とはいっても、今何をなすべきか?なんて問の答えはない。

私は、様々なことを学び仮説をつくった。

そして、その仮説が間違っていないことを自分の体で人体実験をするような気持ちで取り組んだ。

すると不思議なことにパニックは徐々に治まってきた。

これが治るための最初の一歩だったような気がする。

そしてパニックが治まると、その中に光明が見えてきたのだった。

私がやり続けたのは、ランニングや筋トレなどの体力つくりと、料理。

見えてきたのは、元気になった自分の姿と、体験を生かした食の提案をすることだった。

それをやり続けた結果が、今なのだ。

そんな経験を通して、

不慮の事態になったとき、パニックになることは致し方がない。

しかし不慮の出来事とパニックに直接の関係性はない。

自分が描いた関係性に過ぎない。

だから、それに巻き込まれることなく、心静かに今何をなすべきか?を決める。

正解を探すのではなく、決めるのだ。

決めたらそれを淡々とやり続けることで、必ずパニックの中に光明が見えてくる。

あれこれ情報を収集して考えるばかりで、何も決めなければ何も始まらないし、それをやり続けなければ何も変わらない。

よくよく考えれば、とっても簡単でシンプルなことなのだ。

とはいっても、やり続けることはなかなか難しいもの。

様々なことで、心が揺れ動き、不安になり、またまたパニックに引き戻されそうに・・・

そうなるとなかなか一人では立ち直ることができない。

私がそこを乗り切ることができたのはその後、別の患者会(がんの患者学研究所)に入会し、毎週のようにボランティア活動に参加したことでそのモチベーションを維持できたから。

一人で乗り切れるほど私は強い人間ではなかった。

人はみな弱い、だから必要なものは「場」だと思った。

だから私はめぐみの会をつくり、毎週1回はなんらかの「場」を作っている。

たとえ少なくても、何人集まろうとも、一人も来ないことがあっても、常にあり続けることに意味があると思っている。

それがなかったら今の私はないから。

自分がパニックを克服して元気になったのは自分だけの力では絶対にできなかった。
だから、それの恩を返さなかったら、またいつか同じことを繰り返してしまうような気がした。

決めたら淡々とやり続けることでしか光明は見えてこないのだから。

「にも関わらず」11月8日

10年前、がんになり初めていずみの会という患者会に出向き末期ガンからの生還者や元気で楽しく生きている方々にであった時、私が強く感じたのは、こうやってがんになったにも関わらず、他の患者さんのために大切な時間を使って活動してくれている人がいるということを、とっても有難い!ということでした。
 
有難いとは読んで字のごとく、有ることが難しいこと。
 
いずみの会には加藤さんをはじめ、中山会長、ほかにもそんな人たちがたくさんいたのです。
 
そんな有難い人たちにあって、私も自分のことだけを考えていてはいけない。
 
なにか役に立ちたい!と強く思いました。
 
そして、会のお手伝いを申し出て、定例会でのビデオ撮影や準備などをさせていただくようになったのでした。
 
そこが、私の今につながる活動のスタートだったのです。
 
当時、まだ私は大きな手術で体はボロボロ、心は不安でいっぱいいっぱい。
 
そして、まだサラリーマンで会社に復帰したばかりで、余裕なんて全然ありませんでした。
 
しかし当時思っていたことは、病院や治療する場には元気な人はいないのでそんなところにいる時間より、できるだけ元気な人と一緒にいて、その人たちの真似をしたほうが元気になれるような気がしたのです。
 
病人らしい行動をするから、病気が離れなくなる。
 
だから、自分は元気な人とともに、元気な行動をするということが不思議にできたのです。
 
私はサラリーマンになった頃から、百貨店マンは他のコンビニや量販という業態より良い品質ものを売っているので、それを売るには無理をしてでもそれなりの生活をしなければいけないというパターンを持っていたからだと思います。
 
自分は自分の生活、仕事は仕事と思ってしまったら、それなりの商品は売れません。
 
買っていただける人と、おなじ目線を体験することで購買への関心や動機がわかってくるのです。
 
また、ボクシングをやっていたことで、今より強くなるためには、自分より強い人と同じかそれ以上の練習をしなければいけないという習慣も身についていました。
 
だから、ガンになったとき無理なく、今の自分ではなく、なりたい自分がしているだろう行動ができたのだと思います。
 
そんなことで私はいずみの会からがんの患者学研究所に移り、さらにがん患者さんの為となる活動を増やしていったのです。
 
移った、がんの患者学研究所の川竹代表も、治ったら患者会の活動をしようと思っている人より、その“ たら““れば”を先取りする人のほうがはるかに治る確率は高くなると言っていました。

がんを治す心は「利他」

その心は今の自分のステージを上げ、あがったからこそ見えてくるものがある。

そこで何が見えるか?は、上がった人にしかわからないとも。

私はその言葉がなぜだか腑に落ちました。

山の頂上から見下ろす景色は、登ったものにしか分からない。

今はまだ登れないから体力をつけたら登ろうと思っていては、いつまでたっても登る自信はできなく頂上にはいけないと思ったのです。

多くの人は切羽詰った今は、ほかにもっとやるべきことがあると思います、

しかしそれは、手に入れたいものを先送りしていることに他なりません。

今、やろうと思えばできることを、先送りしていたらいつやるのか?

自分で先送りしている限りはできっこないと思い、私は先送りではなく、先取りをすることにしました。

その結果が今なんです。

そんな経験を思うこと。
 
良くなるか心配な時は、よくなった人といる時間を長くするか、その真似をする。
 
元気が出ない時には、元気な人と一緒にいるか、その真似をする。
 
不安な時は、不安でない人といる時間を多くする。
 
とやかく考えるより、行動が一番自分を救ってくれるのです。
 
そして、できるようになるためには、できない理由を作らない。
 
良くなるためには、良くないから○○できないという考え方や行動をしないこと。
 
大切なことは“○○にも関わらず”という考え方と行動。
 
がん患者にも関わらず、元気な考え方と行動。
 
がんになって最悪にも関わらず、がんになってよかったと思える行動をする。
 
 思いがあって、それに沿った行動をするから、現実が変化するのです。

「不安・恐怖は影のようなもの」11月5日

 不安や恐怖は自分の影のようなもので、つねに自分にくっついて回り絶対に離れるものではない。

そして誰にでもあるものなのだ。

なのにあるときその影に気付いてしまったら気になってしょうがない。

離れろといって逃げたって必ずついてくる。

どれだけ速く走っても同じスピードで。

自分の影なんでそんなことは当たり前なのだ。

死や不安や恐怖は自分の影のように誰にでもある。

私は後ろを振り返るのはやめて、前を見ようと思った。

前を見て進んでいる限り後ろは見えない。

振り返らず、ただ前を向いて進めばいいのだ。

進みだして解ったことがある。

目的地は幸せという陽。

追われて進むのではなく、幸せという方向に向かい一歩一歩自分の足を大地につけていることを確認しながらゆっくり歩けばいいのだ。

そうすれば、今生きているということに幸せを感じられるようになり、走る必要なんてなくなってしまう。

そして、もう歩けなくなって地に伏したとき。

影も一緒に自分の下敷きになりなくなるのだ。

「幸せな生き方がガンを治す」11月3日

いろんなことやっても“治る人と治らない人”“良くなる人と良くならない人”がいる。

私がこれまでの10年間多くの患者さんと接してきて、その差は「何をやったか?」ではなく「誰がやったか?」ということ。

つまり行為ではなく、行為をする人の状態で結果は変わってくるということなのです。

その一番重要なものがこの「幸せな生き方」だと、私は思うのです。

ガンになったときほとんどに人は「がんに向かって突き進みます」

するとそのに沸き起こるのは、恐怖・不安・逃走・闘争といった感情・・・

その状態は交感神経優位で病を治しにくい、逆に病になってしまったり悪化させる大きな要因でもなってしまっているのです。

ではその対極の、がんを治しやすい状態とは、どんな状態なのでしょうか?

それがワクワク・楽しい・感謝という「幸せな状態」なのです。

みなさんは、どっちの状態の方が治りやすいと思いますか?

答えるまでもないですよね!

とは言っても、がんになって「幸せ」なんて思えないですよね~

それは、私も同じでした。

わかってはいるけど、出来るわけない!治った人だから言えるんだ!なんて思ってましたから(笑)

しかし、今は幸せとは思えなくても、、幸せになる!という目標を掲げることはできますよね!

大切なのは今の状態ではなく、何処に向かって進むのかということなのです。

そのために私がやった考え方や行動が、

○足るを知ること・・・真理は足元にある

○自然に則した生き方をする・・・自然治癒力

○我欲・こだわりを捨てる・・・喜捨の心・利他の心
 
○自分の物差しをもつ・・・他人と比較しない


生き方を変えるために、これらをやってきたことで私は5年生存率20%を超えて10年間生きているという結果が生まれたのです。

そして、今は「がんになったことで、幸せになった!良かった!!」とまで言い切れるようになりました。

“今一番やらなければいけないこと=どんな自分になりたいか?ー今の自分”

幸せになりたいのなら、がんであるにも関わらず、「幸せを感じる心」を持つことなのです。

その心を持つことで、徐々に今に幸せを感じることができるようになってくるから不思議なんですね。

先日の講座は最後にそんなことをお話させていただき終わりました。

講座終了後は1時間30分ほど、参加していただいたみなさんで和気あいあいと楽しいひと時を過ごしました。

幸せになるための最初の一歩はどうしたら「今が楽しくなるか?」といった視点での言動。

めぐみの会の講座やイベントで一番大切にしていることも、参加者が元気になって楽しく帰っていただくことなんです。

先日の講座のDVDを作りました、

http://www.meguminokai.net/がん克服のテキスト/

参加できなかった方、是非一度見てください。

がんを治したい方はもちろんですが、がんになりたくない方にも、ぜひ聞いて欲しい話です。

詳細・お申し込みはこちらから 
http://www.meguminokai.net/がん克服のテキスト/

「危機管理」11月1日

先日の低血糖昏睡に陥った件で、気が付いたことがたくさんある。

私には手術のダンピング症候群として10年余り低血糖症と付き合ってきたので、先日のような重篤な状態になるまえに自分で対処できると思っていた。

あの時も間違いなく症状は出ていたはずだし、思い返してみるといつもと同じ自覚症状もあったのだった。

もしあの時気付いて糖分を取ればなんてことなく元に戻っていたはずだ。

しかし、それに気付かなかったのは?

ちょうどそのとき、珍しくあることを一生懸命考えていたからなんです。

私はがんになってから、考えても結論の出ないことは考えないようにしてきました。

しかし、今回は来年からあることを始めるか?始めないか? どのくらいの規模にしようか?などとあれこれ考えていたのでした。

その結果、これまでであれば必ず気づくはずの体の異常に気付けずそのまま昏睡状態になってしまったのでした。

それを物語るのが、こん睡状態になっていた時の状態。

服を脱ごうとして首だけ服から抜き、腕は着たままの状態だったそうです。

それを家内が見て、明らかにおかしいと思って発見に至ったそうです。

その時、自分でもいったい何を考えているのか?良くわからないような状態だったことまでは覚えているのですが、その後はすぐ意識がないので無意識での行為だったと思います。

意識が正常に戻ってから、今回はどうして体の異変に気付けなかったのだろう?と掘り下げてみました。

その結果出てきた答えは、「考えすぎていると、感性が鈍る」というものでした。

その時私は、明らかに思考の渦に入っていて、身体の異常を考えすぎで頭が回らなくなったのでは?と感性の異常を理性で打ち消していたのでした。

振り返ってみると、鬱やがんになった時の状態もまったく全く・・・

あれこれ一生懸命考えて、身体や心の状態には一向に目が向かない。

いや向けようとしていなかったのかもしれません。

今回のことで私は思いました。

今の時代の人はあれこれ考えすぎではないかと?

考えて回答が出ることは考えてもいいが、考えて回答が出ないことまであれこれ考えることで本当に大切なことが見えなくなってしまっているような気がするのです。

本当に大切なこと。

幸せって何なんだろう?と考えて答えって出るでしょうか?

たとえ出たとしても、その状態になったとき本当に幸せって言えるかどうかなんてわかりませんよね。

だったらそんなことを考えているより、幸せを感じる行動をすることの方が早道だとは思いませんか?

幸せになりたいと考えている間は、幸せにはなれません。

だって今、幸せではないと思っているから、考えているのですから、それが突然幸せに変わるなんて不自然なことはありえませんよね。

だから不自然だと感じたら、その感性で行動すればいいだけ。

それは自分自身の体や心の声に素直になることでもあるのです。

それこそが幸せへの一番の近道であり、悪い方向にいかないための最大で最強の危機管理ではないかと思います。

「がんは執行猶予つき判決」10月31日

先日の体験、もしあのまま死んでいたら、不安も、痛くも、苦しくも、死への恐怖もなく死ねたが、家族や知人とは何の前触れもなく突然の別れ、思い残すことも多々あるし、やり直しもきかずにあの世行きだった。

私の場合は、いつ死んでもいい生き方を心がけてきたので、もしあのまま死んでいたとしてもそれはそれでこの人生に納得はできたような気はするが、最後はきっちりお別れをいいたいし、自分のやってきたことを振り返って良い人生だったと名残を楽しみながら逝きたいという夢は叶わなかった。

しかし、もしそれががんになる前の出来事だったら、きっと死んでも死にきれなかっただろう。

以前から思ってはいたことだが、今回の自分でこのような経験をして改めて「がんは執行猶予」だと思った。

これまでの自分の体や心の使い方を変えてきちんと更生すれば、がんになったという病歴は残るが、新しい人生を送ることができる。

しかし多くの人は、更生をせず同じ道を歩んだり、執行猶予付にも関わらず有罪となったことに絶望をして自暴自棄になってしまうのだ。

仮に犯罪を犯したとしても執行猶予がつけば判決が出さえすれば、そこから後は自分次第でどうにでもなるということだ。

ましてや、がんには罪なんて何もないので、これから先は自分次第で自由自在ではないか?

比喩の仕方はあまり良くないかもしれないが、ようは執行猶予付き判決をどうとるか?と同じことだと思うのだ。

癌という病は突然、死を意識しなければいけないから他の病や事故などに比べれたら恐怖や苦しみも多いかもしれない。

しかし私は、今回のことのように何の前触れもなく死ぬこともわからず逝ってしまうより良いような気がしたのだった。

言い換えれば、生きているから不安や恐怖があるともいえるのではかいか?

不安や恐怖があっても生きていることに喜びを感じることができるか?

不安や恐怖がなく死ぬことに喜びを感じることができるか?

私は今回の経験を通して、間違いなく後者のほうだと実感した。

「極楽」10月26日

 極楽に行くにはどうしたらよいのか?

良い行いをすること。

徳を積むこと。

南無阿弥陀仏と唱えること、

など色々言われていますが、私はやっぱり読んで字の如く、楽しむことを極める様な気がする。

つまり、どんなに良いことをしても、徳を積んでも、南無阿弥陀仏を唱えたとしても、楽しまなければ極楽にはいけないような気がするのだ。

だって、未来は今の積み重ねでしかないのだから。

今、楽しんでいた結果、死んでからその楽しみを極めることが出来た!

それが極楽往生だと思うのだ。

もちろん、良い行いをすることや徳を積むことは大切だ。

でも、何の為にそれをするのか?

良いことをするためではなく、自分や周りの「楽しみ」を増やすためだと思う。

そしてそれは、何が良いことなのか?

徳を積むことではなく、私はやっぱり自分を含めた周りが「楽むこと」のための様な気がする。

しかし今はなぜか良いことや徳をするより、それを唱えて戦ったり、人を傷つけたり・・・

楽しむという目的があってこの良いことであり徳を積むことが大切ではないか?

そう思うと、なんだか今の時代は楽しむことを目的としていないような気がする。

良いこと、徳を積むこと、正しいことが目的となってしまっていないか?

それでは、自分という体と心に対して良いことや徳を積むことになっていない。

良いということをするため、徳を積むために自分を犠牲や被害者にしているような気がしてならない。

そんな時代だからこそ、今一番大切なことは、まずは自分自身が心から楽しいと思えるようなことを極めること。

地域も、社会も、国も、世界も一人の人の集合体。

だから、まずは自分自身にとって楽しいことを極める事が、結果として良いことや、徳を積むことだと思う。

そんな人が集まった場所が極楽なのだ。

私がまだ死ねなかったのは、もっとワクワクして楽しめというメッセージだと勝手に解釈をした。

もし、それができたら・・・・

そこに私にとっての極楽があるような気がした。

きっと極楽は死後に存在するものではなく、楽しんで生きた結果。

つまり“今”に見つけるものだと私は思う。

「九死に一生の体験!」10月25日

昨晩、少し大げさですが、“九死に一生”という出来事がありました。

私は10年前、食道がんの手術をしてからの後遺症で“低血糖症”という症状があります。

手術で胃がないことで何らかの拍子で急激にインスリンが出て低血糖状態を引き起こすのですが、これまでは寒気や脱力感・発汗などの自覚症状があり、飴や清涼ドリンクなどを補給してきましたがここ最近症状がでたことがなかったので、今回はまったく気づきませんでした。

そして昨夜、いつからかはわかりませんが、家内がウォーキングから帰って風呂から上がって居間に来た時には既に昏睡状態に陥っていたようです。

寝ていると思ったそうですが、パソコンに向かって上服を半分脱ぎかけの状態で汗全身でズブ濡れという異常な風景だったのでおかしいと思い体をさわったら冷たくなっていたみたいです。

今年4月に朝起きた時に父が亡くなっていた時の冷たさが蘇ったと言っていました。

慌てて起こそうとしても反応がなく、息はしていたので娘や息子を呼んでみんなで揺さぶったり声をかけると少し反応があったそうですがまた眠ってしまうので低血糖では?と気づき砂糖をいっぱい入れた温かい飲み物を少しづつ口に入れると次第に反応が戻るようになりさらに汗が出続けてずぶ濡れになっていく服を何度か着替えさせたそうです。

その時、私の中では気持ちよく眠ていたのを起こされたといった朦朧とした感じで「なぜ起こすのか?布団で寝かせてくれ!」なんてことを言っていたつもりですが、家族は何かわけのわからないことを口走っていて意識障害も出ていると判断したそうで、すぐ昏睡に入ろうとするのでこれはいつもの低血糖とは違うということで救急車を呼んだようです。

その頃には体も随分温かくなってきたので知恩を測ったら34度だったそうです。
父が亡くなった時には冷たくて体温なんか図るという意識がなかったのと同じで、温かいから図るという行為をするんですね。

救急車が来るまでに徐々に意識レベルは上がってきたようですが救急隊にもなんで自分が救急車に乗らなければいけないのか?全然わからないと言いながら連れていかれたと息子が言ってました。

今朝、子供たちにどんな状態だったか聞いてみると、最初は亡くなった時のおじいちゃんみたいに冷たく、気づいたら認知のおばあちゃんみたいにわけのわからないことばかり口走っていたようです(笑)

救急車はガンの後遺症ということで手術をした藤田保健衛生大学付属病院に向かいブドウ糖の点滴などの処置をして意識も体調も正常にもどり未明に自宅に帰ってきました。

今朝先ほど起きて、低血糖発作を調べてみると結構やばい状態だったようです。

あの時、家族が呼びかけてくれなかったら・・・・・・
よく映画やドラマの臨死体験なんかでやっているような、気持ちいいところに向かおうとしているのを呼び戻されたといった感じでした。

きっと死ぬときってあのまま誰にも戻されずに逝ってしまうんですね。
人工呼吸器に繋がれたときも苦しみのなかから唯一ほっとしたのが痛み止めなどで意識が薄れていく瞬間だったなぁと10年前を思い出しましたが、薬は使ってないのであの時よりしっかり戻ってくる瞬間を意識できました。

今朝になって昨夜のことを振り返り

そして、10年という年月で忘れかけていた、生きていて当たり前という無意識感、今を生きるという意識、体への労わり、家族への感謝の心を命とともに呼び戻しくれるありがたい体験でありメッセージだったと改めて感じました。

また、まだまだ私にはこの世でやる使命があるという神様からのメッセージだとも思いました。

来年から投資を伴う新しい事業に取り組むかどうかという決断に迷いも出ていたので、これは進めといことですね!


低血糖発作は血糖値さえあげればあっという間に普通に戻ってしまうので良いとも言えますがある意味、生と死の狭間はほんの一瞬でそれはいつでもやってくると言うことです。

今回のことで人はこうやってなんの前触れもなく突然逝ってしまうということを体感し、戻ってくるという普通ではできないとっても素晴らしい経験をしました。

これまで以上に、生かされていることに感謝して、今という一瞬を悔いのない生き方をしようと悟り目覚めました。

そんな今朝の太陽は本当に清々しいですね!

今日は家内と2人で10月22日の結婚記念日は両方とも仕事があり、なにもできなかったので知多半島に美味しいものを食べに行く予定でした。

この日は家族発祥の日でもありますから、昨夜のことがあったのも何か意味がありますね!

そんなことで、

みなさんも、素敵な今日という一日をお過ごしくださいね♪

感謝! 織田英嗣 m(_)m


「正解より、解答を出す」10月23日

 病気になったとき、多くの人は治療法、食事、お手当、考え方などの正解を求める。

また様々な困難に陥った時も。

そしてそんな人ほど、何が正解なのか解らないと嘆く。

そう、あれも違うこれも違うみんな違うことを言って解らないと嘆くだけで自分の回答を出さないのだ。

回答を出さずして正解も不正解もないのでは?

さらに言えば、私は「がん治し」に1+1=2という万人に共通した正解はないと思う。

まあ、1+1が3になったり4になったりする事もあるのだが、それはさておいて。

そんなか、私はその時点で自分の出した答えはすべて正解だと思うようにした。

今の自分が答えそのものなんだと。

たとえもしそれがその時点では正解でなかたっとしても、正解にするための行動をすればいいと思った.

たとえば、毎日毎日そんなに過剰な運動をしていたら活性酸素が増え良くなるどころか悪くなる。

その時出した私の回答は、「筋肉をつけて、心肺機能を高めれば活性酸素は増えても体の機能が高まり良くなる」だった。

そして、そんな声を無視して、自分の回答を正解にするための行動をしてきた結果が今なのだ。

といっても、それは私にとって正解だったという確証もないし、万人にとっての正解ではない。

でも、いまこうやって元気に生きていることは間違いない。

大切なことは正解ではなく、回答を出すこと。

そして出した回答を正解に導くための行動をすることだと思う。

また、出した回答がもし間違っていたと気づいたら、回答を書き直せばいいだけ。

前に出した回答があったからこそ、次の回答が出てくるなんて事もある。

つまり、出した答えすべてがその時の自分にとっての正解。

それが自分を信じるということであり、病や困難を克服するための最高の力だと思う。

「幸せ感」10月21日

 私は、がんの管理学「キーワードは幸せになる!」という小冊子を書いていますが、このタイトルにしたのは、癌になったとき多くの人は、苦しみや不幸という方向に向かって生きてしまうという現実があり、それが治らない最大の理由だと思ったからだ。

そして、がんを治すためには、がんに向かわず幸せに向かって生きるという方向に向かうことがとっても大切だと思うからです、

しかし、突然目の前に現れたがんはあまりにも大きく視界を妨げてしまうので、どうしても目を開ければがんが見えてしまうというのが現状なのです。

私もがんになった当初は頭では解っていたが、幸せに向かう事なんて出来るはずもなかった。

その理由は「幸せ」な自分という存在があまりにも遠い向こうのものになってしまい、どうしたらそこに向かっていけるのか?が皆目見当がつかないという状態だったのです。

でも、がんに向かってはいけない・・・・

そこで、私がやったことが、患者会のボランティアでした。

当時は幸せを求めてなんて考えはなく、ただ今の自分に出来ることをやろうという視点でした。

そうした理由は止まっていると不安で不安で、いてもたってもいられなかったから。

そんな状態で患者会のボランティア活動を初めてみると、自分がなんらかの役にたっていることに喜びを感じるようになってきたのです。

そして、その喜びを更に膨らませていった結果、遠くにあった「幸せ感」が徐々に近い存在になってきました。

自分がとっても大変なときに人の役に立つことなんて考えられない、と思う方は多いと思います。

しかし、そんな時だからこそ、人の役に立つことで一人で立ち回るよりもっと大きな力を得るようなきがします。

もし、私がまだそんな時期ではないといって患者会の活動をしていなかったら、今の私はなかったと100%言い切れます。

がんを治す大きな原動力は「幸せ」そして「愛」

これらの力を得たいのなら、与える側の人間になることが一番手っ取り早いと思います。

与えたものが受け取るものなのです。

そして「幸せを感じる」一番の近道は、人の役になっている、自分を感じることだと思います。

この幸せ感が、常識を超える力となります。

そう、常識では曲がるはずがないスプーンが曲がっちゃうのです。

大切なことは頑張ることとは対局にあることも解ってもらえると思います。

このセミナーに参加して、みなさんのなかに眠っている偉大な力を体感してみませんか?

「「すべては自分の問題」」10月19日

がんを宣告されたときや大きな問題が起こったとき、

「とんでもないもとになってしまった!」

「これからどうしたらいいんだ?」

と途方にくれパニックになります。

それは致し方ないことです。

しかし、その結果がよくなるか、ならないかは、そのパニックの状況からいつどうやって抜け出せるかどうかにかかっています。

そしてそのパニック状態から抜け出すことが出来るか否かは、本人がその状態をどう認識するかというところにしかないと思います。

そんな時、周りが、配して騒ぎるぎると、パニックはますます大きくなって、静まるどころか大きくなってしまうのです。

そこが、難しいところ。

周りの心配=自分の状態が深刻 となってしまうのです。

そんな時、周りやご家族が一番してあげなければいけないことは、信じて見守ること。

そして、今の状態をどうするかということより、その向こう側の希望の灯火を一緒に探し大きくすることなのです。

あれをしなければいけない、これをしたほうが良い!というようなことを言いたくなる気持ちはとても良くわかりますが、でもそれは、「子供にもっともっと勉強しなければ、良い学校にいけなくて良い人生を送れない!」

と言っていることと同じで、現在の否定。

すなわち、このままでは、未来はないということを示唆していることにほかならないと思うのです。

このような強迫観念を迫ったとしても、本人にもその人にとっても良いことがあると思いますか?

パニック状態に追い打ちをかけているようなものですよね!

もしかしたらそうやって脇目も振らずに頑張ったり、体や心に目を向けることを怠って病になったり、問題が起こったのでは?なのでしょうか?

だからこそ、大切なことは今の状態に向こう側に新しい人生を見つけるきっかけを与えてあげることだと思うのです。

今こんな状態にあるけど、ここから一緒に新しい未来を手に入れるために前に進もうという気持ちが、今の状態は新しい未来へのスタート地点という認識を持つきっかけとなり、パニックから抜け出す大きなポイントとなるのではないのでしょうか?

他人にはご本人やご家族の心の負担を取り除く事、病気を回復に向かわせる事ははっきりいってできません。

やるのは、ご本人。

そして大切なのは、こうなってしまったのは自分自身の問題で、解決できるのも自分でしかないということを認識することなのです。

だからこそ他人や医者に言われてやるのではなく「自立すること」

自分の人生は自分で切り開くことができることを知ることなのです。

がんが治った人の多くはそれができた人。

そして、その方たちも特別ではありません。

皆さん、苦しみの中から、少しづつ希望を見つけ自分の足で歩みだしてきた結果な治ったのです。

私たち人間はみなそうやって生まれ育ってきた過程を経て今ここにあるのです。

しかし、いつの日か様々なものに指図されたり、拘束された結果、依存していくるようになってしまっただけ。

だから、もう一度その道を歩むことは誰にでもできることなのです。

なので、私の活動の基本には、「人間信頼」と言う言葉があります。

私ができることは、一人一人の患者さんの本来持っている生きる力を信頼して、私の知っていることや経験をお伝えすることだけしかないのです。

そして、それ以降は、その人を信じて託し、お手伝いをする。

本人以外の人にできることは、ただそれだけなのです。

それはご家族も周りの人も同じ。

伴走者として、その人の人生そのものを信じて見守ってあげることだと思います。

「治す心」10月15日

 病気治しには、心が大切だという。


では、病を治す心とは?

...

それは「治したい!」と思う心・・・・


ではないと私は思う。


「治したい!」ではなく、「治す」という事は決めればいいことなのだ。


「治したい!」と思う心は、ああすれば良い、こうしたら良い、といった執着を呼び、悩みや苦しみを増してしまう。


そして、「治したい!」を言い換えれば、“今は悪い”という今の自分の否定にも繋がる。


今を否定して、ある日突然良くなるなんてことがあるはずないではないか?


それは病に限らず、「今の自分の人生を良くしたい!」なんて思う心も同じ。


「良くしたい」ではなく、今を良いものに置き換えることが大切なのだ。


病を治すのも、人生を良くするのも、今を良いものとすることから始まる。


その心が自分の心を癒し、体を癒す


「治す心」とは“今の良いところを探し、感謝するという心”だと思う。

「怪我の功名」10月9日

それは、失敗や過失が偶然によい結果をもたらすことをいう。


私も今、思い返せば“がん”になったことは「怪我の功名」だったように思う。


もし「がんになっていなかったら?」と思うと、なぜだかぞっとする(笑)


とはいっても、がんになった当時はそんなこと思うはずもなく、これは何かの過ちであってほしいと思っていた。


しかし、あるとき患者会で、“がんになったと言うことは「汲めども尽きぬ宝の泉」を得たことだ!”


という言葉を聞いた。


聞いたときは「?・・・・・」


そのときこの「怪我の功名」という言葉がふと浮かんだのだった。


よく本やドラマなどで、「あの最悪の出来事がなかったら今の自分はなかった!」なんて言葉を聞く。


持ち前の“どM”精神がメラメラと沸き起こった。


私の“ドM”の原点は「ロッキー」の殴られても殴られてもボロボロになって立ち上がりその最終地点には歓喜の渦が待っているというストーリーを自分に置き換え空想して、その過程の痛みや苦しみを喜びに変えるというものだったので、この言葉が不思議とすんなり入ってきたのだった。


やっぱり普通の人とは違うようだ(笑)


それ以降、私はがんのイメージを「汲めども尽きぬ宝の泉」に置き換えたのだった。


とはいっても、そんなに簡単なものでもない。


やっぱり、何時死ぬのか解らない恐怖、不安・・・・・


たくさんあったが、私はそれを“殴られても殴られても立ち上がるロッキーの姿に写し替えた”

“痛い・苦しい”と思いもう終わりにしたいと思えば立ち上がらなければいい。


自分で決めればばいいことなのだ。


しかし痛みや苦しさに負けて立ち上がらなかったら・・・・


試合は終わってしまい、後悔も残ると思った。


もし、負けるとしたら完全ノックアウトのKO負けの方が清々しい。


当時私の中にあったのは「一発逆転!歓喜の渦!!」という空想の世界だった。


そんなことを思って振り返ってみると「怪我の功名」は偶然ではなく必然なのだ!


悪い出来事を悪いと自分自身が意味づけしてしまうことは、そこで試合を終わらせると決めてしまうことと同じではないか?


その出来事の向こうに何を見ることが出来るか?によって、その場を乗り切るという決断をすることで功名という出来事を引き寄せることが出来るのだ。


だから決して偶然ではない。


ある本に、命とは「人は一回、叩かれる」と書く。


きっと命の輝きを失いかけてしまっていたので、神様は「がん」という病を授けて叩いてくれたのかもしれない。


そのおかげで私は、再度命を輝かすことが出来たような気がする。


現在、がんになって苦しみのさなかの人や、大きな災いの中にいる人にはとうてい受け入れられない話かもしれない。


しかし、そんな体験を通しての考え方もあるということを、頭の片隅においてちょっとM気を出してほしい。


もしかしたら、少し心が軽くなるきっかけが掴めるかもしれないから。


「苦楽を共にする」10月6日

「苦楽を共にする」とは、一緒に苦労をし、一緒に楽しむことだが、それは一緒に苦労したから一緒に楽しむことができたということのような気がする。

楽しいことと苦しいこと

どっちがいいか?と言われれば多くの人は楽しいことだと思う。

現に私もそうだった。

しかし私は今、楽と苦どちらをとるかと言われれば私は苦を選ぶ。

その理由は苦が人間を成長させるから。

さらに言えば楽は人間の成長を止めてしまうと思うからだ。

私たち人間は常に苦から逃れるために生きている。

息をちめていると苦しいから呼吸をして、動かないと苦しいから行動する。

私はその実感を人口呼吸器を付けられて初めて得た。

苦しいから呼吸をしようとしても自発呼吸では酸素が足らない・・・・

ずっと寝ているのは苦痛だったので、動こうとしても首を固定させて横をむこともできない・・・

排泄を我慢するのが苦しいからトイレにいこうとしても動けない・・・・

結構長い時間大きい方は我慢したが・・・・・・・・(笑)

そして、これらの苦から解放されたとき、とても楽になった。

呼吸ができること、動けることがこれほど有難いことだと思ったことはなかった。

その反面、このままこの楽からもう一歩踏み出さなけれな自分の人生は終わると思ったのだ。

これで満足してはいけない!

私は人工呼吸器が取れた翌日から自力で歩きトイレに行った。

5日目には胸腔ドレーンも取れたので、病棟内を1万歩歩きはじめ退院の日まで毎日続けた。

首、胸、腹の切り口は痛いし、息は上がるしと苦しかったが、このままだったら永遠に苦しい思いをするような気がした。

今の肉体の苦しさの向こう側に、未来の楽しさを見出したのだ。

今の楽をあのまま続けていたら、結局は衰えるばかりで心はずっと苦しんでいたような気がする。

私はそんな経験から、楽とは苦がなくなることでしかなく、楽が苦を与えると思うようになった。

大切なのは苦の向こう側に楽しみを見つけること。

苦の向こうにしか楽しみはないということを知ることだと思う。

ここで間違えねいで欲しいのは、苦と苦しみは違うということ。

苦とは現象でしかないが、苦しみは自分が作り出すもの。

私の事例で言えば、苦は切り刻まれて動くと痛い体の状態で、苦しみはその状態を以前と比較したり痛みの恐怖や逃れたいと思う自分の心の状態だった。

私はこの苦という現象の向こう側に楽しい未来を見つけることで、苦しみが薄れていったのだ。

その結果として得たものは、楽ではなく楽しみだった。

薬という字は、楽になる草とかくが、薬によって得た楽に浸ることで、苦しみを得ることが多いような気がする。

私は術前抗がん剤を使ったが術後は断った。

あのまま安心を求めて使っていたら・・・・・・・・

だから、薬からも病院からも離れるという苦を選んだ。

その結果が今なのだ。

どっちが良かったのか?の答えはないが私は今楽しく生きているということだけは間違ってはいないような気がする。

「酒の神様゛バッカス”」10月2日

゛バッカス”とはローマ神話の中にでてくる“酒の神様”

豊穣と酩酊とワインの神でもある。

そして私の高校時代の連れが作っているバンドの名前

“酒を飲む口実”で作ったのでこの名前になったようだ。

この仲間たち、高校時代からいつも酒を飲み悪さをしていた奴らだ。

実は私も当初はこのバンドに入ってジャンベを叩いていたが、音程もリズムも合わないどころか周りに悪影響を与えるようで頚になった(笑)

やっぱり自己主張が強すぎるんだろう・・・・・

この神様、酔うと理性のブレーキが外れることから狂乱の神様とも呼ばれていたらしい。

そういう私も癌になる前は酒に溺れていた。

高校生時代は酒を飲んで暴れた!

というより、暴れるために酒を飲んでいたような気もする。

高校3年の時に当時流行っていたディスコでガラスを叩き割って拳を4針縫う怪我をした事もあった。

抑えきればいエネルギーを発散するために飲んでいた。

酒飲みはサラリーマンになっても続いたが、社会人の常識としてエネルギーの発散はできなく徐々に酒に溺れるようになった。

現実から逃避するための酒だったような気がする。

酒は百薬の長という

しかし、溺れると理性にブレーキが外れ狂気となることがある。

思い返せば、私は自分が自分がという意識がとても強く欲の塊だった。

なので、バンドでも下手なくせに主張してしまうのだ

この性格・癖は未だに抜けきってはいないようだ(笑)

そうやって生きてきて癌になりふと思った。

自分を主張するのは癌も同じだ!と。

程々だったら良いのだが、ブレーキが外れて私たち生き物を狂乱の渦に引き込む。 

そして、現代医学の医者も・・・・

本来は人間の持っている自然治癒力を助ける役割で良いはずだが、医学に溺れ薬物やメスを浸かって狂乱の渦に巻き込んでしまう。

医者は、細菌やウィルス、がん細胞よりどれだけ多くの病人を作ってきたのか?・・・・

この癌と医者、そして患者が自己主張をしながら理性という枠を外して戦っている!

これが今の癌を取りまく私たちの姿なのだ。

だから、癌は治らない病になってしまった。

今、私たちが省みないといけない大切なこと。

酒は百薬の長という言葉のように、酒も医療も我欲も癌も“ほどほど”がいいのだ。

すべてのことに良い悪いもない

何かを良いと表現したときに、悪いがでてくる。

そして、悪いと表現したとき、良いがでてくる。

最近の癌報道も然りだ。

癌を悪いと決めつけて、それと必死に戦った闘病を感動や良いものとして取り上げる。

今癌を患っている人から見れば、とんでもない話題が堂々と公共の電波で流れてくる・・・

とんでもない話だ!

そんなことを話題にすること自体がナンセンスだと私は思う。

癌も酒も医療も我欲も、良いものでも悪いものでもない。

それを善悪で分けるという私たちの心に一番の問題があるような気がする。

だから、癌も治らない病になるのだ!

「悪いお客さん」9月29日

 私は以前百貨店に勤務していたが、悪いお客さんが偶に来た。

百貨店間のブラックリストのようなものがあって、来たら警備に見張ってもらったり店外に出ていただくようなことをしていた。

そして百貨店を辞めたのでもう悪いお客さんとはおさらばだと思ったが、なかなかそうはうまくいかなかった。

今度来た悪いお客さんは、死への恐怖やいつまで生きれるのだろうか?という不安だった。

以前のお客さんも追い出しても度々やってきたが、今回も同じように何度もやってくる。

そんなことを考えていてふと思った。

以前のお客さんは、きちんと解っていれば来たからといって外に追い出せば悪いことは何もない。

今回の悪いお客さんも、来たら追い出せばいいのだと。

来たお客さん自体は悪くはない。

私たちにとって悪いという認識をした時点で悪いお客さんとなり、居座られると迷惑するだけ。

それからは、「来ちゃ駄目じゃない!」と言って外に出てもらうようにした。

すると不思議に、心は軽くなった。

私たちにとって、怒り、妬み、恐怖、不安などの悪い感情はお客さんだと思えばいい。

自分の都合ではなく相手の都合でやってくる。

なので、どんなに来ないように願っても、やって来てしまうのだ。

そして、やってきたことに意識して囚われるから悪い感情が自分に置き換わってしまう・・・

だから、来たと認識したら、きちんと外に出てもらう。

外に出たら、なんの害にもならないではないか?

中に滞在しているからいけないのだ。

悪いお客さんとは一緒にいず、出てもらう。

それが一番良い対処法だと思う。

「過当競争」9月26日

 戦後の何もなかった時代から、すべての国民が豊かになろうと競った結果、

強いものが弱いものを屈しさせる・・・

裕福なものが、貧しいものを侮り・・・

賢者が愚者をバカにして奢る・・・

勝ち組が負け組を蔑む・・・・

そんな時代になってしまった。

何を隠そう、私自身もそんな人たちのなかの一人だった。

しかし、10年前にがんになったことで立場が逆転した。

切り刻まれてガタガタで弱い体

サラリーマンを辞めて無職

行動が伴わない愚か者

経済社会の中では病になり落ちこぼれた負け組・・・

そんな中で私は、今の自分を正当化するために、以前の思考や働き方、そして社会や経済まで間違っている否定した。

自分はその犠牲者

でも、今の自分の方が豊かだとアピールした。

強さ・裕福・賢者・勝ち組を否定するかのように。

でもあるとき、それも過当競争ではないか?と思った。

そのきっかけは、自然栽培

木村秋則さんとの出会いだった。

私は自然栽培を農業の手段としてではなく、「生き方」だと捉えた。

健やかな植物を育てる手段=健やかな人を育む手段

自然栽培は敵を作らない=無敵なのだ

だから、木村さんは虫も農薬も肥料も否定はしない。

私が思う木村さんの自然栽培とは、手段ではなく植物が自らが然るべく姿をどう作っていくか?という栽培

それを人間に置き換えれば、人間が自分らしく生きるために、依存から、自立、共生へと進む自分の人生設計。

つまり、自分が自分を自然栽培で育てるという視点が大切なことだと解った。

大切なことは、社会や経済や政治家や他人が良い悪いという視点ではなく、自分が然るべく姿で生きているか?

なにかに依存するのではなく、自らが自立し他と共生していけるような生き方を自分がしていくことが大切だと解った。

そうすれば、敵をつくり排除する必要もなく、不安も、恐れや憎しみも薄れていくのではないか?

今の時代に、失われてしまったのは、手を思いやる気持ち

それがあればこんな時代になっていない。

あれが悪い、これが悪いというのは、過当競争ではないか?

弱者と強者が、裕福なものと貧しきものが、賢者と愚者が、勝ち組と負け組が入れ替わっただけ。

悪者を作るのではなく、自分の目の前を良くするのが正当競争

それが向上をもたらし、進歩を生む

今を否定する過当競争が、争いを起こし殺人までに貶めるではないか?

がんも結局は、これと同じことだと私は思う。


「いきなりゴール!」9月23日

 私はがんになった当初、「がんになって、もうこれで人生は終わりだ!」と思っていました。

しかし、がんからの生還者から、意外な言葉を聞いたのです。

それは、みなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、ガンからの生還者の多くが言っているという「がんに感謝」とか「がんになって良かった!」と言う言葉です。

その時は「そんなこと信じられないし、それは生還したから言える言葉だ!」と思いました。

でも、あるとき患者会で「いきなりゴール!」という教え(笑)を聞いたのです。

それは、なりたい自分に先になってしまう思考や行動のパターンをつければ、体や心はそれに付いてくる。というものでした。

そんなとき、読んだある本に、経営の神様 松下幸之助さんが言ってる“自分を出世させた理由”という話がありました。

その理由は

1.家が貧乏だった

2.学校へ行けなかった

3.病弱だった

という3つのことしか考えられないというのです。

家が貧しかったのでお金持ちになろうとし、

学校へ行けなかったので本を読んで勉強し。

身体が弱かったので自分の代わりになてくれる人を育てようとした結果が今の自分を作り上げたそうです。

この3つのことは、普通の人が「できない理由」「だから自分はダメなんだ」と自分に言い聞かせていること。

そしてそこに「がんになったから幸せになれない」「もう終わりだ」と思っている自分がいました。

その時、少し前に聞いた「いきなりゴール!」という言葉が頭の中に飛び込んできたのです。

できない、ダメだと思っていて、ゴールする瞬間にいきなり「できた!よかった!」なんて有り得ない・・・・

では、どこからそうなるのか?といったら「今でしょ!(笑)」

それは、決して良くなったからそう言っているわけではなく、そう言っていたから良くなっということがなぜかストンと腹に落ちました。

そして私は「がんになって良かった!」と思えるようになるために、どうしても比較してしまうガンになる前と同じ環境から身を引く決意をして(株)三越を退職し、がんになったからこそできる、患者会の活動を本格的に始めたのです。

私はその時から「ガンになったことを“終わり”ではなく、”始まり”」と捉え、良かった感謝というゴールの言動を心がけるようにしtのです。

具体的に言うと、目の前の選択を“良かったと思える選択”をするようにしました。

それは「正しさではなく、幸せという選択肢」

正しさからの選択は怒りを呼び、幸せからの選択は笑顔を呼びます゛

当時、私はまだ心底から「幸せだ!良かった!」なんてまったく思えませんでしたが、ゴールを導き出す言動を取るように変えた結果が今の私なのです。

余談になりますが、ここ最近なんだか「正しさの選択をして怒りを発している人がやたらに多いような気がしませんか?」

゛それで良くなるはずがない!”と私は思うのです。

ガン生還者だけに限らず成功者の多くは、自分の身に起こった様々なマイナスの出来事をプラスに置き換え、それをエネルギーとして捉えて積極的な行動をしたから、現実が本当にプラスになったということだと思います。

それはプラス思考とは違います。

何が違うか?

ゴールの行動をするかしないか?ですよね♪

「がんになって10回目の誕生日に思うこと」9月20日

9月19日は私の52回目の誕生日でした♪

思い返せばガンになったのが2006年

そして今年は2015年  

がんになって10回目の誕生日だったんです。

昨日までは9回目だと思っていたのですが、指折り数えるとなんと10回目!

10年一昔といいますが、長いようであっという間の10年でした。

10年前の誕生日は、大きな手術をして退院したばかりで、満身創痍でしたが「なんとか生きて自宅に帰って来れた!」といった状態・・・

そして、その頃は5年生存率20%前後、10年生存率10%弱と知り、「あと何年生きれるのか?」ばかりを考え不安で不安で仕方がなかったことを思い出します。

「自分が死んだら、家族はどうなるのか?・・・」

当時まだ小学生だった子どもたちの未来のことを考え、会社に復帰しはしましたが以前と立場も環境も変わって仕事に生きがいを感じられなくもあり、バリバリ仕事をやっていた頃と比較して後悔したり・・・・と

そんな時、患者会と出会ったことで、「がんになったからこそ出来る、第2の人生を歩もう!」と決め、がんになって2年後26年間務め(株)三越をやめる決断をました。

それは安定した未来とがんに至る前の過去を断ち切るいう決断でした。

そして「先のことを考えるのはやめて、明日死んでも良いと思う生き方をしよう!」と決めた時から私の時間に過去と未来はなくなりあるのは「今」だけ。

未来は今の継続でしかなく、今が終わったら死。

その瞬間がくる直前までどう生きるか?

できない事を嘆くのではなく、できることを感謝し楽しみ、「今やる、すぐやる、必ずやる」

その結果は?

皆さんご存知だと思いますが「あれこれやって、中途半端・・・」

でも、どれだけ生きれるかわからないなかで目標を作って、計画を立てて、じっくり腰を据えてなんてこと私には出来なかった・・・・

それは明日死んでも良いという生き方ではなく、目標半ばで・・・・・

後悔が残る生き方のような気がしたのです。

なので、私は死ぬ直前まで続く、今だけに焦点を当てるようにしました。

でも、ひとつだけ心配が

そんな非常識な生き方をしていて、家族・子供たちはどう思うのか?

定職にもつかず、収入もごく僅か・・・・「未来を見ないように!」なんていうことは自分勝手で無責任極まりないのでは?

それは10年後の今で継続中ですが(笑)

でも、私は自分が子供に残してあげれるのはお金でも財産でもなく「自分の生き方」しかないとそれこそ自分勝手な解釈をつけて今を楽しむ生き方をしました。

でもひとつだけ、子供に記憶として残したかったこと

それは「人を必要とする人より、人に必要とされる人になれば、どんな状況に陥っても誇りをもって生きていける!」ということを言葉としてではなく、実際の生き方として残せれたらということでした。

しかしそれは“親の勝手な押し付け”そして“解釈”では?とも思っていました。

そんなことを感じながら過ごした2年後(がんになって4回目)の誕生日に当時中学1年生だった娘に貰った手紙で自分のやったことは何らかの形で家族に届いていると感じました。

その私にとって大切でとっても意味のあるものとなりました。

この手紙はメルマガでは掲載できませんのでブログにアップしました。

こちらです。
   ↓↓
http://ameblo.jp/ganmane/entry-12074792589.html

この娘は今は大学1年

高校・大学と親を充てにせず、自分で決めて今は奨学金とバイトで大学に通っています。

それが良いことなのか?どうかは今はわかりませんが、“自分で道を切り開く”という意味では、私のこんな生き方も少しは役に立っているのかもしれないと思います。

そんな6年前の娘からの手紙で私の迷いはなくなりました。

「今を生きる!」

その瞬間、瞬間が未来も創っていくのです。

死を恐れるのではなく、向かって進むことで今は輝く!

親としての役割より、人としての役割を果たすことで自分の人生は輝く!

命は多くの命によって、死によって繋いできたものだから。

生まれるとはその大きな責任を担ったということ。

だかこそ、生きている今を大切にする。

それが自分だけではなくすべての命を大切にすること。

すなわちこの世に誕生した意味だと、私は思います。

「決死の覚悟」9月17日

私はこれまでも何度か書いてきましたが、癌になってサラリーマンを辞めたとき「生きる覚悟と死ぬ覚悟を同時にしました。

それは、今をめいっぱい生きることだけに集中して、その結果がどうであれ受け入れる覚悟をしたということです。

だからこそ、“これ死んでも悔いはない”という生き方をここまで貫き通してこれたと思うのです。

ガンという病になったとき、「死にたくはない!」という心が平常心を失わせ、恐怖や不安を呼び起こし免疫も落ちる結果を誘発します。

それは当たり前ですが「死から逃れたい!」という気持ちです。

でも生き物はすべて刻一刻と死に向かって生きています。

それは絶対に逃れられない真実なのです。

でも癌になった多くの人は死から逃れようと必死になって前に進みます。

しかしここで必死に前に進むということは、過去には戻ることができないので結局は今から逃れ死に向かっているということに他なりません。

そう思って自分自身を振り返れば、がん宣告を受ける前は“死に向かって生きている“なんてこと感じてことはありませんでした。

今という時間は当分は続くのだと無意識に思っていたような気がします。

そんな時に突然のがん宣告で後ろから追っかけてくるガンという存在に慌てふためいてゴールに進む速度を速めてしまっていた自分がいました。

どうしてそんな状況を生み出してしまったのか?

「死への恐怖心」でした。

どうしてそうなってしまったのか?を考えたとき、ある答えが出てきました。

それはこれまでは“今”という時間を疎かにして未来に先送りをしてきたからだと。

今は永年に続くという錯覚に陥っていたのです。

でもそんな確証は1%もありません。

たとえがんになっていなくても、明日死ぬなんてことは当たり前にあります。

なのにガンになる前の私を含め多くの人は“死”を意識することはなく、あえて考えずに遠ざけていたような気がします。

だからがんになって突然現れた“死”という影に怯えて平常心を失い走って前に進んだのでした。

それは言い換えれば、死に向かって早足で進んでいることだと私は思ったのです。

なので、あえて死を身近におくために「死ぬ覚悟」をして、今から死を迎えるその時までの「生に集中する覚悟」を同時にしました。

それでガンになる前の平常心を取り戻し、さらに“いつ死んでも良いような今”を生きるという生き方ができるようになったのです。

それこそが「決死の覚悟」

すなわち「今を生きる覚悟」なのです。

先日の春名さんのお話を聞き、たぶんその“決死の覚悟”がガンから生還した人の共通点の一つなのではないか?と思いました。

“死は追ってくるののではなく、向かっていっている”

その事実を直視できるか?がガンという病になった時にこれから先の自分の人生そのものを決める大切な視点だと思います。

「一視同仁 」9月16日

 解りやすく言えば、“すべての人を分け隔てなく平等に愛すること”

私はこの言葉の意味を知ったとき、過去の自分と今の自分に置き換えてとっても力が抜けた。

がんになった当初、物欲主義で弱者を軽視する過去の自分の生き方を悔いて蔑んだ。

でもあるとき、ただ一生懸命にがむしゃらに生きてきた自分を否定してはいけないと思った。

そう思った理由は、人生は過去・現在・未来とつながっていてその中に自分が存在しているという今の立ち位置に気づいたからだった。

過去を否定すること=現在の否定=未来も否定すること

先日のブログでも書いたが「否定からは何も生まれない」

私は学校を卒業して現代社会の構図の中で、ただただ一生懸命に頑張っていたのだ。

それは決して悪いことではない。

多くの人は普通・常識という社会の中で生きている。

そしてそこから逃れることは大病や災難という今の自分を覆すことがなければなかなかできるものではない。

そういった社会の中で何か不自然なものを感じてし待ったことで私は欝、そして癌になったのだ。

その頑張ってきた過去を否定してなんになるのだろうか?

病や災難は頑張ったからこそ起こるものではないか?

もし自分が頑張っていなかったら・・・・・

がんにはなっていなかったであろう。

そう思ったとき、過去の頑張ってきた自分をはじめて愛おしいと思った。

現代社会に生きている人のほとんどは過去の私のように遮二無二頑張っている。

その理由は頑張らないと、ダメな奴とか負け組みだと言われるから。

だからこの社会のなかで認められないと、自分には価値がないとか生きている意味がないと思ってしまうのだ。

でもそんなことはない。

病や災難にあうほど真面目に一生懸命に生きてきたということでしかない。

自分の中に!社会の中に何らかの憤りを感じたから災いというメッセージを頂いたのだ!

そう思ったとき、これは良くするためのメッセージかも?と思った。

そんな経験があったのでこの「一視同仁」という言葉とその意味を知った時に、今の時代に必要な言葉だと思ったのだ。

今足りないものは「敵をも愛する豊かな心」ではないか?

犯罪者も様々な問題の原因となっている人たちも、みな一生懸命生きていて現代社会の中で矛盾をkんじているからこそ問題を起こすような行為をしてしまう・・・・・・・

みな素直な人なのだ。

今の世の中で一番の問題は、理性という思考を優先して問題を問題と捉えず常識として声を大にしている人が多すぎるということだと思う。

特に公を盾にとる政治家・公務員の多くが世の中を悪くしているような気がしてならない。

これらの社会の中では、真剣に本当に良くしようとしている人がバカを見るような構図が出来上がってる・・・・

また、その感情的対立から憎しむ心が世の中をより深刻にして、お互の不幸をますばかりの結果となってしまっている。

だからこそ、今大切のは「一視同仁」

“すべての人を分け隔てなく平等に愛する心”だと思う。

「否定より豊かさを!」9月13日

 今の時代、物質的にはとっても豊かだが、その反面心の豊かさはドンドン失われていく・・・

一昔前の人たちは物質的には貧しかったが、心は豊かだったような気がする。

どうしてそうなってしまったのか?

私は10年前がんになり豊かさを失ったと思ったが、実際は持っていたことに気づいた。

そんな経緯を経て思ったこと

豊かさの中で生きている現代人は、失うことを恐れて頭で考えて言動する。

貧しさの中で生きてきた一昔前の人たちは、今はない豊かさを創造して言動をしてきた。

がんになって様々なものを失い、更に奪われることを恐れ不安になり、ずっとこれからどうなるのかを考えていた。

しかしふと気づくと、今まで足下にあったにもかかわらず気づかなかった大切なものや素敵なものがたくさんあった事が解った。

サラリーマンを辞め、多くのものを捨てたからこそ見えてきたような気がする。

懐に大金を持っていたら気が気で何も見えなくなってしまうことによく似ていると思う。

そう思うと、今の時代は失うことを恐れるあまり、豊かさや感謝の気持ちが失われているような気がする。

反対運動やデモ・・・・

今騒がれている、原発・農薬・人工林・・・・などもすべて先達が豊かさを求めて来た結果できあがったもの。

だからそれを否定してはいけないと思う。

今日の国の豊かさを築くために何もない時代に一生懸命に働き続けた人たちが作ったものを、すべてが手に入って豊かに生きてきた人たちが失いたくないと否定する・・・

戦争が終わったとき当時の人が戦争があったこと自体を否定して政府と戦っていたらこのような時代にはならなかったのではないか?

起こった事を否定はせず、自分たちや未来の子供たちのために今の自分たちができることを、他人と協力し支え合いただただやってきた結果が今だと思う。

自分たちは失いたくない。

でも今の生活は続けたい。

そんなの虫が良すぎる。

農薬がいけないなら自分で野菜を作ったり、生産者を応援したりする。

原発がいけないなら、極力電気を使わない生活を心がけたり、早く寝る。

それをせずして反対ばかりしてもなんの問題解決にもならないのではないか?

それはがんになって三大医療を否定はするが、自分の生き方を変えることが出来ず命を失っていく患者さんの姿によく似ている。

大切なことは否定ではなく、自分が変わること。

それをせずして、否定ばかりする今の社会のありかたにこそ問題があるような気がしてならない。

大切なことは「あるがままを認めること」ではないか?

そのうえで、今を良くするために自分がどう変わり、どうあるべきか?を考えること。

変わらないものを変えようとすることは無理だし、自分も人も苦しめることになる。

悪いから否定するのではなく、良くするために何をしたらいいのか?を考え実行しよう!

それが出来ないから、本来の豊かさはドンドン失われていってしまう。

私は、豊かさを手に入れるものではなく、気づくものだと思う。

そして、こうなってしまった原因は豊かさを、ものに求めたすぎた結果だと思う。

今が豊かなのだという自覚をもって、今もっているものに感謝して大切にするという心をもつこと。

すべてはあるということを自覚すれば、否定も戦いもない。

“和を以て貴しとなす、逆らう無きを宗とせよ”

聖徳太子がつくった憲法第一条が物事を成就するための一番大切な心。

本当に豊かな社会を作るためには、囚われを排してただ今あるがままを見て、そのうえで一人一人の人が、助け合い、支え合うという"心の豊さ"を持ちさえれば良いのではと私は思う。


「養 生」8月19日

病気になったとき“ 養生”した方が良い等とよく言われます。

ここで言う“養生”とは?

「生活に留意して健康の増進をはかること」

「摂生すること」なのだが・・・・

私は養生で大切なことは「何のために?」と言うことだと思う。

多くの人は病気を治すため、体力を回復するためだと思っているし、私もそう思っていた。

しかし、それでは治ったり体力が回復したら、元に戻ってしまう。

私は何度もそれを繰り返した結果、がんに行き着いた。

そして、行き着いた先で“生き方”を変える覚悟をしたとき、病気を治すことより、“生を高める”という方向に目を向けたのだった。

がんになった当初、私は自分を見失い生きる力は明らかに減少していて風前の灯火だったような気がする。

なので、医者や薬、健康食品に自分の健康を委ねるのではなく、健康法や療法より自分を養生しなければと思ったのだ。

健康法や療法より自分を養生

つまり、自分のからだや個性と向き合い、その良いも悪いもすべて認めて包み込んで養ってあげるという気持ちなのだ。

私の場合は自分の体や心から目を反らした生き方をしていた結果、生命力が著しく低下して、がんになった。

なので、体も心も自分の病気治しでも健康になるためでもない。

ただ、ただ、体や心の自分らしさを取り戻し、生き生き生命力を高めればすべての問題は解決するような気がしたのだ。

そんな経験を通して、私の考え“養生”とは?

「自分の生を養う」ためにするものだと思う。


「人生は登山のようなもの」8月18日

以前、「降りてゆく生き方」という映画の自主上映会を数回開催したが、私がこの映画を上映しようと思ったのは、主演の武田鉄也さんが“降りる”という生き方について「登山というものは、山に登って降りることが目的で、頂上を目指すことではない。


人生も降りるという選択をすることの大切さをこの映画で知ってほしい」言っていた事だった。


私たちの人生は登山そのもの。


本来は50才くらいの時点で頂上を意識して、その後は降りてゆくという意識を持つ必要があると思う。


しかし、今の時代多くの人が“降りる”ということを“衰え”や“負け”ということと勘違いして、いつまでも登り続けようとしている風潮があるような気がする。


私は42才という一番働き盛りのころに、がんという病になった。

まだ子供も小学2年と幼稚園年長と幼く、やらなければいけないことが山積みの状態だった。


思い返せば、それまでの42年間を振り返ると、一生懸命山の頂上を目指して無我夢中で全速力で駆け上がってきました。


頂上にいったい何があるのか?


そんなことも考えずに、頂上へ早く行くこと自体が目的だったような気がします。


いったい底に何があるのか?も解らぬまま登り続けて、降りたら負け・・・・


そんな状態が長く続くはずがありません。


鬱になったにも関わらず、遅れを取り戻そうと病んだ体にむち打って頂上を目指した結果、癌・・・・


一時は、それでもまだ頂上を目指していたことも。


このような状態は、登山でいえば“遭難”


遭難しそうになったら、来た道を引き返さなければ・・・・・

“死”


私はこのとき、頂上に向かうのを諦め「降りる」という選択をしました。


そして「降りて」みたら、頂上に向かっている時には見えなかった足ものと景色や、すそ野のすばらしい風景などが見えるようになってきたのです。


また、頂上を目指していたときには周りはすべてライバル状態で殺伐としたものがあったのが、降りる時にはみんなで楽しく和気あいあいに!


今思い返しても、あのまま登っていたらほんとうに遭難してしまっていたと思います。


私たちの人生は「登山」と一緒。

登ったら降りなければいけません。


そして「降りる」ということは、決して「負け」でも「衰え」でもなく登山と同じく人生そのものなのです。


太陽も昇る朝日と沈む夕日があり、それぞれの美しさがあるように人生も若い美しさと、老い美しさがあります。


老いが悪いのではなく、どちらもとっても豊かなもの。

私は癌になって「降りる」という選択をして本当に良かったと思っています。


降りなかったら、間違いなく遭難していた・・・・。


そんな経験を通して私は、「降りる」という選択をする勇気をもてば、人生がとっても豊かなものになると思っています。

「いきなりゴール」8月3日

今の私をみて元気がない、不健康だと思う人はあまりいないだろう。


しかし、がんになる前の私、そして15時間の手術後の私の状態を知っている人で、私が元気で健康だったという人はいない。


私がこうやって蘇った理由。


それは、元気で健康になるという目的を達成するために、今は元気ではないからという言い訳をせず元気で健康な人がやるようなことを実行したからだと思う。


具体的な事をあげると、術後10日目でまだ体にチュウーブがついて口から食事が出来ない状態にも関わらず病院の回廊を毎日1万歩歩き出した。


誰から見ても1000歩も歩ける状態ではなかった。


その頃の私は↓↓
http://www.meguminokai.net/織田プロフィール/私の闘病とその後/


しかし、元気になるためには、今が元気という行動をしない限り永遠に元気になれないような気がしたのだ。


だって今日元気がなかったものが、翌日急に元気になった!


今日幸せでない人が、明日急に幸せになる!


なんて事はあるはずがないだろう?


だから、織田さん元気だね~!幸せそうだね~!といわれるようなことをしようと思った。

そして、退院後は走って筋トレを繰り返した。


手術で頸部、胸部、腹部と切り刻まれていたので、筋トレは結構苦痛だったが遮二無二続けた。

毎日3km~8kmは走った。


多くの人は元気になったら走ろうと思って今行動をしない。


それを言い換えれば、“走らないという目的”を、今は元気ではないという理由で引き延ばしているということ。


だから元気になれるはずがない。


また同じように、私は“がんになって良かった”と言える人になるという目的をつくり、がんになって良かったと思えるような選択をして行動をした。


それを実行するために、がんになる前の仕事・人間関係・生活習慣すべてを精算した。


以前と同じ事をしていたら、絶対に比較をして良かったとは思えない。


その結果、本当に「がんになって良かった!幸せだ!」といえるようになったのだ。


ゴールで1着を取るには、ゴール手前で1着になっていなければ絶対になれない。


だったら、最初からゴールで目指している状態までいき、その状態を継続させる努力をするのが一番効率的ではないか?


つまり「いきなりゴール!」の状態を目指すのだ。


そうすれば結果うんぬん


また同じように、私は“がんになって良かった”と言える人になるという目的をつくり、がんになって良かったと思えるような選択をして行動をした。


それを実行するために、がんになる前の仕事・人間関係・生活習慣すべてを精算した。

「劣等感」7月28日

がんになる前、私は「劣等感」の塊だった。


その根元は、幼少の頃父から言われ続けた「たわけ」という言葉。


そして、歯医者に行くことが出来ない「嘔吐反射」だった。


その「たわけ」という言葉からの劣等感を払いのけるために、必死になった。


学生時代は勉学が嫌いだったので、力で。


社会人になってからは、行動で。


しかし「嘔吐反射」という肉体的劣等感は頑張れば頑張るほど、そして自分の評価が高くなるほど大きくなっていった。


自分だけの、誰にも知られてはいけない秘密だった。


もし、こんないい年こいて歯医者に行けないなんてことがばれたら・・・・


歯医者に行くと思っただけで嘔吐反射やパニック障害が起こり、徐々に歯医者の治療台と同じようなところに座る床屋や車の運転をするときも嘔吐反射やパニックが出るようになった。


隠れて精神科にも通って治療をしたが良くならない・・・


そして、歯がボロボロになりものを噛むことが出来なくなり、1週間入院して全身麻酔で歯の治療をしたときも会社にも家族にも嘘の病名を言った。


もう精神はボロボロ。


会社での地位があがれば上がるほど、その劣等感は膨れていった。


そして、その劣等感をバネにしてさらに頑張った。


鬱になったときは、きっとその頑張りの限界だったと思う。


しかし、それでも私は「鬱病」ということを診断書を提出した一部の上司にお願いして隠した。


それが更に「劣等感」を大きくして、さらに頑張ろうとした・・・・


もう限界を超えていると薄々解っているにも関わらず。


その結果、なるべくしてなった「癌」だった。


しかし、「癌」という隠すことが出来ない大きな病になったことで、開き治ることができた。


また、人工呼吸器につながれたことで、嘔吐反射が治ってしまった。


まさに、「棚からぼた餅」


人工呼吸器に2日間つながれたことで、40年以上続いた一番劣等感があり恐れていた嘔吐反射の状態をすべてさらけ出したことで、すべての囚われをはずしたのだと思う。


それ以後は、どうしパニックが発生していたかが解らないという状態だった。


このように癌になったおかげで、私の劣等感はすべて消え去った。


そして、ここまでの頑張ってきた自分も愛せるようになった。


そんな経験を経て思うこと。


劣等感は客観的なものではなく、主観的なもの。


そして事実ではなく、解釈。


それは、対人関係のなかで生まれ育まれ、そして言い訳にしたらコンプレックスになる。


すべてを開示するという、現実的努力で消すことが出きるということだ。


人間はみな、弱く、小さく、醜い。


そんな劣等感があるからこそ、強く、大きく、綺麗に見せようとするのだ。


でも、そんな必要はない。


誰しも、弱く、小さく、醜いんだから。


大きな声で、「俺は弱くて、小さくて、醜い人間だ!」と胸を張って言おう!


そうすれば、肩の力が抜けて無敵な状態を作り出すはずだ♪


私がそうなったように♫

「自分らしさ」7月22日

癌とは自分自身の細胞が無限に増殖して最後には自分自身を破滅に向かわせる病。


ではどうしてそんな細胞が発生してしまうのか?


原因はストレスやタバコ、環境ホルモンなど様ざまなことがあるが、深部には依存心があるように思う


身の回りで起こることや、思い通りにならないことに対して不満、非難、競争、比較、逃走,闘争と自分自身で無限に増殖させていく。


どうしてそうなってしまうのか?


私の場合は自分への過少評価があったように思う。


パニック障害や高卒という学歴、若かりしころ悪いことばかりしていた等など


そんな自分を他人から隠そう、見返してやろう、更にはよく見せようとして、がむしゃらに生きてきた。


そこには常に他人の姿があり、次第に自分自身の存在と比較することでしか見出せなくなってしまっていたような気がする。


このような状態を「共依存」という。


自分を確立するために、他人に依存しているのだ。


しかし、他人の身体も心も思い通りになるはずがない。


親や、家族や子供ですら思い通りにならないのに・・・・


そんなことをしているので滅亡への道を歩みだす。


その心は癌のように負の感情を転移し自分自身を破滅する。


私の場合、その結果が癌だった。


私は外部に自分のよりどころを見つけるのではなく、自分自身が生きていること、そのものを楽しむ気持ちを大切にした。


他人にも、病にも依存するのではなく、共存する生き方を。


そして自立とは共存なしではできないことにも気付いた。


感情の癌からも開放されたのだ。


がん細胞も元はといえばすべての人が持っている自分の細胞。


正常細胞と比較することに問題があるように思う。


がん細胞を排除することに目を向けるよりも、正常細胞が自分らしくいられることに目を向けることが最終的にはよくなる一番の近道ではないか?


〝自分らしさ”


それが今の時代に一番かけていることなので、癌もこれだけ増えているような気がしてならない。



「大切なものは目に見えない」7月21日

命、魂、愛、心、想いなど、大切なものは目に見えないという。
 

私もがんになる前には、これら見えないものにはあまり関心がなかった。


命はそこそこ続くと思っていた。


魂は一生懸命生きていると


愛は個人的感情だと


心は根性でどうにかするもの


想いは幻想的


目に見えないんじゃなくて、大切なものを見つめ過ぎないようにしていた


見過ぎると怖いから


人間と動物の違いは“知性や理性があること“と言われているが、私は目に見えないものを大切にする“本当に豊かな価値観”ではないか?と思う。


しかし、現代人は知性や理性を優先することで、目に見えない大切なものを見ないようになってしまった。


そして、今では動物の方が人間より“豊かな価値観”を持っているような気がするのは私だけだろうか?


私たち人間は、脳が進化して知性や理性が生まれたことですべての動物のなかで一番進化してきたのが人間だという。


でも私は、その進化は縄文時代で終わったのではないかと思う。


縄文以後は、知性や理性を司る大脳が進化しすぎたことで、生き物としての感性が退化してしまった結果、豊かな価値観は減少し、それに伴い幸せも目減りしてしまった。


そして、病や犯罪、そして戦いも増加の一途・・・・・


陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。


今の時代は、進化のなれの果てではなかろうか?


もう、これ以上進化してはいけない。


理性より、感性。


目に見えるものより、見えないものを大切にしなければ。


お金より、真心。


地位より、魂


名誉より、命


見栄より、愛


現実より、思い 


本当に人を幸せにするのは、目に見えないもののような気がする。


「心の健康」7月17日

健康とは?

WHOでは病気ではないとかではなく、体と心、そして経済的にも満たされた状態と定義つけられている。

でも、この定義を満たす人ってどの位いるのだろうか?

もしかしたらほとんどいないのでは?なんて思う。

そうなってしまう原因として、私は「満たす」という言葉の理解の仕方にあるような気がする。

多くの人は「満たす」とはコップならいっぱいに水が入っていることをイメージする。

体の健康といえば、病はなく肉体的にも万全な状態。

心の健康といえば、ストレスも悩みもなく安定した精神状態。

経済的健康といえば、持ち家があって、貯蓄もあり老後も安心な状態。

をイメージするだろう、。

そんなこと全部が満たされて状態なんてあるはず無いから、どんどん健康からかけ離れていってしまうのだ。

私も正しくそうなった。

どうしてそうなったか?

私の場合は経済的健康を優先しすぎたからだ。

経済の健康のコップに水をいっぱいにしようと躍起になることで、体と心のコップに水がどんどん減っていった。

癌になってけ体の水が残り少なくなったことにやっと気づきここも躍起になることで、経済にお水が減り、心の水はさらに減り続けて。

こうなると、すでに健康なんて言葉は私の中から消し去られた。

しかし私は「「足るを知る」という教えを受け心のコップをいっぱいにしようと決めた。

そしてわかったことは、心のコップをいっぱいにするためには、体や経済のコップをいっぱいにしようとしてはいけないということ。

体や経済のコップの水は年齢を負うに連れて必ず減ってくる。

そしてその減った状態を「なくなった」と捉えるか「まだ残っている」と捉えるかで、心のコップの水の量が増えるのだ。

さらに心の水がある程度まで増え出すと、増えるなんて思ってもいなかった体や経済のコップに水がどこかから流れてきたり、沸き起こってきたりする。

体や経済のコップの水はなかなか自分では増やすことはできないが、心の水は自分の心の持ち方である程度は満たすことができる。

私はガンになり5年生存率30%と言われたが、一度はもうダメかと思ったが5年間は30%の確率で生きることができる。


なら大きな手術で失ったものに目を向けるより、0から生活習慣を見直し体を鍛えることで健康に近づくことに喜びをみつけよう。

サラリーマンを続ければ収入が減ったと常に感じなければいけないが、やめて無職になれば0から増えてと感じることができる。

なんてむちゃくちゃなことを考え、行動したおかげで心のコップが満たされて、体のコップの水がふえだした。

あとは、経済のコップだが・・・・・

まだ枯渇スレスレで、沸き起こってこないな~(笑)

まぁ、期待すると不安や怒りを生むので、少しだがちょろちょろ入る流れができてきたことに喜びを感じることにしている。

ようはコップに水をいっぱいにすることが真の健康になるための条件ではなく、コップに水が入っていることをどう捉えるかだと私は思う。

つまり、体や経済の健康を優先して満たさなければいけないと思うから、心のコップの水が減り健康ではなくなり、病になるのだ。

「明日への希望」7月16日

癌になった私が一番不安だったころ、将来の希望がなくなっていた。


5年間生存率30%未満、再発したら余命半年・・・


将来というより、5年後、3年後、1年後、半年後の希望も見つけることが出来なかったといっても良い。


しかし、ある人に「そんなに先ではなく、明日への希望をつなげていけばいいのでは?」と言われた。


明日への希望?


私はそれを「今日の良いこと」と解釈をして、毎日寝るときに“今日あった良いことを探し思い浮かべて、


「きっと明日はもっと良いことがあるだろう?楽しみだなぁ♪」とワクワクして目を閉じるようにした。


すると、毎日良いことを探すから、人に喜ばれる行動をするようになってきた。


その結果、あれだけつらく苦しい毎日が、徐々に楽しいものに変わってきたのだ。


癌という病は先が見えなくなってしまうことが一番つらいし、苦しい。


そして、その苦しみや不安が免疫を落とし、病状を悪化させる。 


その理由は遠い先を見ようとするから、希望がなくなるのだ。


そんなに遠い先なんか見なくて良い。


明日への希望を持つために、たとえ悪い出来事があったとしてもその中に今日の良いことを探したり、良いことをする!


すると不思議と、寝付きも良いし、目覚めもすっきりとエネルギーがみなぎってくる。


やっぱり、良い睡眠をとることが体にも心にも一番なのだ!


がんに限らず、未来への希望が見えなくなったとき、明日への希望をつなげていく。


そうすれば、きっと未来への希望はなくても未来の景色が見えてくると思います。


「来たバスに乗る!」7月13日

私たち人間は不思議なもので自分のことは自分が一番よくわかっていると思っている。


そして、自分のやりたいことがわからないと言って自分探しをしたり、自分のやりたいことを使命だと思い込んだりしている。

私もがんになってから新たな自分探しをして、がんになった意味を求め、ガンになったこと自分の使命を見つけたと思っていた。

しかし、あるときふとガンになってからそれまでにやってきたことを振り返ったとき、すべて他人から委ねられたことをやってきただけだった。

来たバスに載っていただけ。

そして私はその時できることを一生懸命やっていたに過ぎなかった。

そんな姿を見てくれている人がいて、私の前に止まって「よかったらこのバスに乗らない?」と言ってくれたのだ。

一番最初ががんの患者会での代表から地区の統括をと言われた。

その時、闘病中だった私は荷が重いし分不相応と一度は断ったが、それを自分で決めるからうまくいかなくなる。
誰もできない人にお願いしようなんて思わない。

頼むということは見込みがあるから頼むのだ。

それを断るということは自分の可能性を自分で閉じていることになるのではないか?

あなたはガンを克服できると言っているのに、それは私には・・・・・・

なんて言っていたら、治るものも治らないのではないか?

と言われた。

その時から私は「来たバスには乗る」覚悟をした。

するとそこから私の人生は大きく変わったのだ。

普通の人がかなり時間がかかるような経験や道のりが、とてつもなく早く進むようになったのだ。

どうしてなのか?

自分のやりたいことをやるには単独で協力者や仲間をつくるのに時間がかかるが、来たバスには既に運転手も乗客もいるので歩くより格段早く目的地に近づく。

そして行き先が違うと思ったら降りる決断をした。

するとまた次のバスがやってきた。

乗り換えのバスがあったから降りたことも多々ある。

そして今は目的地が徐々に見えてきた。

それは、乗ってきたバスが目的地に近づいてきたことを意味する。

そこに来て初めて自分自身がわかり、何をしたかったのかが見えてきたのだ。

このような経緯から、私は自分を一番知らないのが自分だと思いようになった。

自分の背中は自分の目では直接見ることはできないが、他人からはすべて見ることができる。

つまり自分を知らない自分でが自分の勝手な判断で決めるより、信頼のおける人から頼まれたことを引き受けていくことが大切だと思うのだ。

そしてそうなるもでは、その時やるべきことを確実に一生懸命こなしていればいい。
人に自分の背中を見せていればいいのだ。

その時、背中に何かしょっていたら見えなくなるので何もしょってな煎ことも大切だ。

そんなことから、私は背中になにも背負わずに、来たバスに乗り、時には乗り換えをしてここまで目まぐるしく速いスピードでたどり着いた。

なので、

計画を立てない

目標を持たない

自然に任せる

排除しない

そして、今の思いややってきたこと、気づいたことを発信する。

それが履歴書のようなものだから。

発信しなければなにもわからないし伝わらない。

なので、どういわれようとこんな非常識なことを貫き通してきたのだ。

これまでそれを否定されたことも何度もある。

それは致し方ないことだと思う。

だって私だってそれが正しいなんて言えないから。

だから自らの人生をかけてそれを実践しているだけなのだ。

人は自分の背中を見ることはできないが、足あとは残すことができる。

だから私は人生で何をしたいかではなく、どんな足跡をのこすか?

そして何を考え、何に気づき、どうして行ったのかという、ことを発信していくという足跡のプロセスを大切にしているのだ。

それが私の生きる意味ではなく、生きた意味として残っていくことを想像しながら楽しんでいる。

「感謝される人」7月11日

感謝することは大切だ

しかし私は感謝する人より、感謝される人になりたいと思う。

感謝する、それは受身

やってもらったことや、あるものに対しての行為

それに感謝することは当たり前のこと。

その当たり前から、一歩前進することが大切なではないのか?

感謝は受身であってはいけない。

つなげてこそ、はじめて感謝と言えるのだと思う。

感謝する人ばかりであったら、この世の中は何も変わらない。

感謝をしたら、感謝を返す。

感謝を送る。

それが、生きるということであり、命をつなぐということ。


私は術後人工呼吸器に繋がれて初めて生かされれいるという感謝の心が看護師さんたちに沸いた。


この人たちは仕事以上のもので私の命をつないでくれていると。


すると、私の命をつないでくれているものは、もっともっとたくさんあることが解った。


食べ物、自然、間接的に関わっている見知らぬ人・・・・


私たちが生きているということ自体が、無限の感謝ではないか?


そう思ったとき、私は感謝する人より、見返りを求めず感謝される人にらなければ感謝したことにはならないと思った。


「感謝を繋げる」


それこそが、私たち人間の命のあり方だと思う。

「死ぬまで生きる」7月10日

“死ぬまで生きる”


当たり前のことだが、この言葉はとっても深いと思う。


普通に生きているときは“生”が頭の中の大部分を占めている。


しかし、死が目前に現れると“死”が頭の中の大部分を占めてしまうのだ。


私もがんになる前は“死”は遠い先のものでしかなく、がんになってからは“死”がとても近いものとなり“生”がかすれて見えてきた。


その当時は、生の終わりが死だと思い、その終幕が何時くるのか?と怯えていた。


「終わらないでほしい!」と


でもある時から、「素晴らしい終わりを迎えるためには?」という視点に変わった。


その理由は、ある時聞いた「人は必ず死ぬ」という当たり前の言葉だった。


その時、「では良い人生とは?」どこで決まるのか?と考えた。


長生きすることが良い人生なのか?


早死にすると悪い人生なのか?


私ががんの患者さんに関わる活動をしてきて、それは違うと感じたのだ。


若くして亡くなっても、あの人は良い人生だった思える人もいる。


逆にがんになってなくても長生きしていて、人生を後悔ばかりしている人もいる。


その違いは?


生に対する向き合い方だと思った。


人は誰しも,いつ死ぬか、どう死ぬかは分からない。


しかし、今どう生きるかは自由自在だ。


素晴らしい終わりを迎えるためには終わりは気にせず、常に今を生一杯生きていれば良いのだ!


一流スポーツ選手が引退するとき、「私の現役人生に悔いはなし」ということと同じ様な気がした。


死は生の結果でしかない。


どう死ぬか?=どう生きたか?


私は生と真摯に向き合うことで、死の恐怖を薄れさせる事が出来たのだ。


死ぬまで生きている=生を当たり前だと思わないことだと思う。

 


「計画を立てない」7月7日

計画を立てないなんて事は、常識でいえば「有り得ない」


「そんなことをしていては生きていけないし、うまくいくはずがない」というのがもっぱらの意見だと思います。


しかし、不思議なことにそのほうが上手くいくのです。


私は10年前、癌になり5年生存率20%前後、再発したら余命半年という現実を知りました。


まったく先のことが見えず真っ暗闇。


そんな中から自分の生きる灯火を見つけることができたのは、「先を見ずに、現在を生きる」と決めたからなのです。


がんという病が治らない原因は「先を見てしまうから」


そして見えないことに恐怖や不安を感じて心が病んでしまうことで、治らなくなってしまったり、再発してしまったりすると思います。


未来は現在の積み重ねでしかありません。


つまり「今をどう生きるか?」によって「未来がある」のです。


私は、今恐怖や不安の中で生きているからその通りになる。


ならば、今をワクワク生きれば、ワクワクした未来があると思ったのです。


それからは、計画を立てないようにしました。


只々、今ワクワクするほうに進もうと決めたのです。


すると不思議なことにすべて上手くいくのです。


とはいっても、最初からではなく結果として。


起こったときは、「しまった!」と思うことは多々ありました。


でその失敗をワクワクに変える方向に進むことで結果として上手くいくことに気付いたのです。


とはいっても、ワクワクして生きるとは決して楽をすることではありません。


苦労や苦しみもワクワクする方向に向けることだと思います。


そんな生き方をしていて「目標や計画」を立てることの弊害に気づきました。


多くの計画は、苦しみや不安を生み出します。


私の場合は、人生設計やこれからどうする?と考えることでした。


そんなことを考えたって思い通りになるはずがありません。


たとえ癌にならなかったとしても、人生一寸先は闇ですからね(笑)


だから「行き当たりばったり」と決めたのです。


すると、そこには今までには思いもよらない新しい可能性がたくさん芽生えました。


そんな経験を通して今思うのは


「計画を立てることは、他の可能性を排除すること」では?と言うこと。


計画を立てれば、計画以外のことには目が行かないし、やろうとはしなくなってしまいます。


その結果、新たな可能性が身近に来ていたにも関わらずやり過ごしてしまう。


だから私は「計画を立てるからうまくいかない」と思うのです。


こんなことはまったくの常識外ですね。


私も正しいとは思っていません。


だからこそ、この仮説を自分の人生を通して検証してみようと思っているのです。


でも一つ言えることは、私が今幸せなのは、最初の計画が狂ったから。

そして、これからは計画を立てないという誓いをたてたからだと思うんです。


その理由は、もし計画を立てていたとしたらその結果は×だったものが、計画を立てなかったことで結果的に○になった事がたくさんあったからです。


その一番手ががん


私の人生設計的には癌は×、でもその設計を自ら放棄し、未来をフリーに行き当たりばったりに向かわせるよいうにせざるを得なかったことが結果的に○になったということなんでしょう。


「心の傷」7月6日

私は鬱になり、癌になった。


この2つの病の共通する原因は「心の傷」だった。


鬱になるまえについた心の傷は、「むなしさ」


それは仕事をしていても、得るものより失うものの方が多いのでは?という傷だった。


しかし、その傷を隠すために、自分に嘘をついて、さらには虚勢を張って頑張った。


でもどうにもならなくて、最終的には自宅に逃避して4ヶ月引きこもった。


今思うとこれらはすべて、傷ついた心を守るための行動だったような気がする。


そして、その傷口をそのままにしたために命に関わるほど悪化し、癌になったのだ。


術後会社に復帰して、鬱の時と同じように最初は、得るものはないと分かっている自分に嘘をつき、あえて元気そうに振る舞い虚勢を張っていた。


しかし、そんな自分に嫌気がさして、今度は癌に逃避しようとする自分がいた。


それは「再発したらまた休める」という普通では考えられない心だった。


そのとき私はこれではいけない。


心の傷を隠すのではなく、治療しようと思った。


それは、むなしさを埋めること。


即ち、得ようとしていたものを変えて、これからの人生では外面的な豊かさではなく、心の豊かさを得ようと決めたのだ。


その時、今後は嘘をついたり、虚勢をはったり、逃避をすることは止めようと誓った。


自分の心に嘘をついてYESといわずN0と言おう。


虚勢を張らず、病気の自分をさらけ出そう。


癌に逃げ道を求めない!


心の傷を隠さず、治す。


むなしさをなくす為には、やりたくないことはしないことだと思った。


その時、一番やりたくなかったことは?


「会社に行くこと」


なので、辞めた。


他にも、「計画を立てる」「目標をつくる」「効率を求める」「他人の評価を気にする」どれもサラリーマン時代に大切にしてきたことだった。


その結果、むなしさという心についた傷はすっかりなくなった。


私に限らず、鬱や癌になる人は、少なからず心に傷があるはず。


その傷を隠すために、嘘をついたり、虚勢を張ったり、逃避したりすると、傷口は大きくなるばかりだ。


しかし、これらを止めれば必然的に傷は癒されていく。


そして傷が癒されれば、病は必要でなくなる。


即ち、「治っちゃう」のだ!!


「正しさより、幸せを!」7月1日

正しいという言葉や概念


それは人を不幸に導くもののような気がする。


私は、幼少の頃からその言葉に悩まされ、苦しんできたような気がする。


父親が厳格で「正しさ」を振りかざして子供の教育をしたからだ。


そこから逃れるために、高校時代は好き勝手なことをやって楽しんできたが、サラリーマンになってまたこの言葉に悩まされ、苦しむようになった。


また、そこから逃れるために、ボクシングをやりその矛先を、人を殴ることや、殴られることで発散しようとした。


しかし、そんなこと何時までもやってられるはずもない。


そうやって私は「正しさ」の副産物を溜め込むようになった。


その結果が“癌”


そして、またそこでも様々な情報の中から「正しさ」を探さなければいけなかったのだ。


しかし、あるときそに正解はないということが分かった。


人は正しいという概念をもって自分を形成する。


学校教育がすべて正解・不正解、正しい・間違っているで結果を出すから、正解や正しさを求めるからだ。


つまり、私たちの思考や概念、そして知識は正しさを積み上げたものなのだ。


それは答えのあるものには絶対的な強さがあるが、答えのないものには無力・・・


迷いや不安を生み行動を妨げる足かせにもなる。


もともと答えのあるものだとしても、解釈の違いによっては正解は異なることがほとんどではないか?


絶対的な正しさなんてものはない、と私は思う。


なので、癌になってからは「正しい」とされているものに疑問を持つことにした。


治療、食事、仕事、考え方等々


正しいという字は、一度止まると書く。


正しいと決めつける前に、本当にそれで正しいのだろうか?


違った解釈はないのだろうか?を考えるようにした。


しかし、考えることでその結論は出ない事が多かった。


考えるという行為がすでに、正しいものを探すことだと分かった。


そこで私は選択の基準を「正しさ」から「幸せ」に変えた。


どっちを選択したほうが、自分も、そして周りも幸せになれると感じるのか?


正しさを求め出すと、怒りが生まれる。


幸せを求め出すと、笑顔が生まれる。


どっちの基準がこの社会を生きやすく、楽しくするのだろうか?


「正しさより、幸せを!」

「当たり前」6月29日

私は病になる前、この「当たり前」という言葉をよく使っていたし、自分自身もこの言葉に拘束されていたように思う。


一番よく使っていたのは、男が仕事を第一に考えるのは「当たり前」かな?


でもよくよく考えれば、そんなことがいえる根拠なんてどこにもないし、正しいことかどうかも分からない。


しかし、「当たり前」という言葉をつけるとそれは、あたかも絶対的ルールのようになってしまう。

でも、当たり前なんて事はこの世の中には存在しないと言うことがわかった。


それは、9年前の6月27日、15時間の手術を終え、意識が戻ったときだった。


手術をする前には、当たり前のように呼吸をし、自由に動き、話し、食べていた事すべてが出来なくなっていたのだ。


その時から、私は「当たり前」という概念をなくした。


いったい「当たり前」ってなんなんだ。


「偽り」を自分の都合のいい解釈に変える切り札。


その時から、私は「当たり前」という思いや言葉がでたとき、疑問符をつけてみるようにした。


すると、当たり前だと思っていたことは、時と場合によっては人を傷つけたり、自分の都合の良いように解釈させるためのもの。


つまり、怒りと同じようなものだと思うに至った。


この世の中のに「当たり前」なんてことはない。


当然、○○すべき、なんてことも。


その結果、得たものは、


感謝の気持ち、勇気、楽しさ、幸せ・・・


数え切れない。


すべて「当たり前」という概念の外にあったような気がする。


みなさんも、「当たり前」の外に出てみるとこの感覚が分かりますよ(笑)


「どん底からの復活!」6月27日

9年前の今日この時間、6月27日朝8時、私は食道がんの手術のため手術室に入りました。


そして出てきたのは夜の11時30分。


ほぼ一日掛りの大手術で帰ってきたときは人工呼吸器に繋がれ体中のあちこちからチュウブが出ているという状態でした。


 

今振り返ると、よく復活できたなぁ~と思います。


どうして私が復活できたか?


復活とは”生き返る””再生”


そう私は、がんになったことで、生き返り、再生したのだ。ではその前の状態はなんだったのか?


たとえは悪いが、私は干からびかけた大根のような状態だった。


なので医者や多くの人はもう水々しい大根には戻れない。


あまり美味しくないが捨てるよりは食べてみようと思うか、ゴミ箱行きかという選択肢しかなかった。


しかし私は干からびたままの状態を拒否し、すてられるのも拒否して〝復活”を決意した。


とは言っても、それまでの保存状態が悪かったので水々しい大根には戻れない。


そこで私は、沢庵に生まれ変わる決意をしたのだ。


沢庵だったらさらに陽に干して干からびさせてから糠に漬け込めば良い。


私の場合は、玄米菜食をして干からびさせて、生きる環境を一時太陽の下から糠のなかに変えたのだ。


すると、私の体や心が〝発酵”してきて,水々しい大根にはない味を醸しだした。


まさしく〝復活”したのだ。


大切なのは、一旦干からびたものは水々しいモノには戻れないということ。


だって、それまで自分の保管状況が悪かったんだから。


でも、違った形で蘇ることは必ず出来る。


調理という行動をして、環境を変えれば。


人はどんな状況になっても復活できる。


しかし、何のために復活するのか?を問う必要がある。


水みずしい大根はそのまま食べれるが、干からびた大根は菌や糠といった他の力を一定の期間借りてこそ沢庵として復活できるからだ。


自分で生きているから、生かされ新たな価値をいただいたのだ。


だから、そのお返しをしたいと心から思えるようになった。


そう思って振り返ると、私は病になる前は自分のために生きていた。


そして今も自分のために生きている。


でも、大きく変わったのは、以前は自分が喜ぶためだったが、今は人に喜んでもらうため。


人に喜んでもらうのが、自分が一番楽しいし、幸せを感じることができる。


自分の喜びは限りがあるが、人の笑顔は無限大なのだ。


つまり、同じ自分のためでも目的が変わったのだ。


大根が沢庵になるように復活するためには、今までは違う目的を持つ必要があるのだと思う。


そして、そのおかげで大根とは違った、奥深~い味わいのある人生を歩むことができている♪♪



「否定からは、何も生まれない!」6月23日

○○は反対、許してはいけない!


最近、そんな話を良く聞く。


でも、それって戦争と同じ考え方のような気がする。


何が良いか?悪いか?なんて時と場合によって変わってくる。


今、自然や社会にとって悪いとされているものでも、過去には何らかの意味があって、それに恩恵を受けたということもたくさんあるはず。


それを、問題が出てきたと言って手のひらを返すように「未来のために!」と否定する。


過去の奴隷となって今なにも変えようとしないことは良いことではない。


しかし、未来のためと言って、その過去を否定することに意味があるのだろうか?


すべては先人たちが良くしようとやってきたことではなかったのか?


だから、過去を否定するのでもなく、過去の奴隷となるのでもなく、生かして次のステップにすすむことは出来ないのだろうか?と私は思う。

ガンという病も、ガンになったしまった過去を否定したり、引きずったりしていてはよりよい未来はやってこない。


それは、今の自分自身を否定することになるから。


同じように過去を否定するということは、今を否定すること


そして、今を否定したら、未来は刑罰を受ける人ばあつまる監獄のようなものになってしまうのではないか?


だからこそ、過去の奴隷とならず、未来の為などと言わず、今の自分の周りを良くしていくことだけを意識すれば良いのではないかと、私は思う。

「働くこと」6月22日

人が動くと書いて働く

本来、人の為に動く、傍を楽にするという行為が働くなんだが、現代人はその"人”が自分になってしまっているような気がする。

自分のために動くのは"働く”ではなく「欲」

欲の語源

「谷」はハ型に流れ出る形+口(あな)の会意文字で、穴が開いている意味。

欲は「欠(からだをかがめた さま)+谷」で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。

空虚な不満があり、それ を埋めたい気持ちのこと。

自分を埋める行為でしかないのだ。

では自分をどこに埋めるのか?

谷を欠く(おろそかにする)

すなわち、足元よりも頂きを大切にすること。

要は何のために動くか?

自分が登るためにか

人の足元を固めるためか?

△か▽か?なのだ。

積み重ねた結果の自分か?

自分が中心にいるか?

私は人のために動くという行為を積み重ねていきたい。

だって自分のために生きても、生きた証は自己満足でしかないから。

すべては自分が死んだ時に消えてなくなる。

だから自分が消えても人の心に残る生き方をしたい。

それが働くということ。

そして永遠に生きるということにつながると思うのだ。

「すべては0から」6月18日

7年前 の6月、㈱三越を辞めたときに私は「これからすべては〝0”からスタートする」と決めた。


その2年前、15時間の手術をして人工呼吸器につながれ“0”一歩手前の状態から2年かけて仕事にも復帰し、後遺症こそ幾つかあったが見た目の体はそこそこ普通の状態に戻りつつあった。


しかし、心の回復は未だ進んでいなかった。


その理由は“比較すること”だった


見た目の体が以前と同じくらい普通になってきただけに、以前の自分との境遇の違いがよけいに心を苦しませた。


そんなとき、術後から2年間を振り返った。


あのとき人工呼吸器につながれ話すことも、身動き一つできない“0”に近い状態を経験したから、もう同じ場所には戻らないと決め、運動やお手当、学びなど様々なことをしてきた結果、体や体力はここまで快復できた。


もし〝0”に近い状態を経験することなく術後1週間前後で退院できるような中途半端な病状だったら、たぶんあそこまでやらなかっただろうし、ここまで体力が回復することはなかった、と思った。


だったら、心を快復させるためには?


やっぱり“0”からの出発しかないと思い、26年間働いてきた㈱三越を辞めた。


その時、2つのことを決めた。


1つ目は、比較が生まれないよう、以前の私を知らない人脈、新しい居場所をつくること


2つ目は、がんになって会社を辞めるまでの生き方すべてをさらけ出すこと。


そうすれば、新しい自分に生まれ変われる様な気がしたのだ。


その結果、地位も身分もお金もない、いつまで生きることができるか分からない“織田英嗣”という人間に関心を持ってくれる人が徐々に増え、そんな人たちとの人間関係は比較や隠すこともなくとっても楽しいものだった。


さらに、その人間関係から新しい生き方も見えてきた。


そう考えれば、人生新しい出発はいつからでも、どんな状態からでもできるのだ。


すべてを“0”からと言う意識さえ持てば。


「捨てれば得られる」


私の座右の銘でもある。


「限界を作るのは自分」6月15日

私は9年前、食道がんの手術で食道を全て、胃の1/3を摘出して、残った2/3の胃袋を食道の代わりに再建した。


したがって、胃袋は筒状で胃の役割を果たしていない。


術前、医者には食べる量も消化力も以前の半分位になるといわれていた。


自分の身の丈を知ること。


また、食べてとても良いものでも、消化できなければ毒にもなるということを認識するようにと言われた。


でも、私は身の丈を知っても背伸びをしようとしたし、消化が悪いものでもあえて食べてみようと思った。


なので、最初のうちは食べたものが胃の幽門に詰まって苦しんだり、逆流して苦しんだりすることが多々あった。


消化が悪いものを食べると(海草やキノコ類)5~6時間後に腸閉塞を起こすことも多々あった。


そんなときは、痛いは吐くは、七転八倒の苦しみだった。


良く家内に懲りない人だと怒られた()


しかし、術後5年ほどでこれらの症状はほとんどなくなったのだ!


私は、根っからの負けず嫌いだったので、限界までやってみないと解らないので絶えず挑戦をして、食道の代わりになっている2/3の胃袋を鍛えようと思ったのだ。


医者に言われたとしても、そんな人がほとんどいないと聞いたとしても、やってみなければ解らない。


苦しみがあるから、そこを乗り越えた時の喜びや楽しさがある!と思い遮二無二突き進んだ。


とは言っても、そのような症状があった3年くらいは毎晩胃腸をぬか袋で温めたり、月に3日は断食をして胃腸を休めてあげたりと労わることも忘れなかった。


そんな経験を通して、“限界なんてものはなく、自分が限界と思った時が限界”かもしれないと思うようになった。

ドMの私だから言えることかもしれないけど()


ただ、私は急ぎすぎる、やりすぎる、という欠点があるので、途中でオーバーヒートや燃料切れすることもある


でも、止まって、後退しても、また進みだせばきっといつかはそこに到達すると私は思う。


「得意なものが、不得意を作る」6月12日

私はがんを自分で治すと決めたとき、止まって物事を考えると不安になるので、筋トレしたり走ったりと常に動いていた。


そして動いてばかりいた結果、瞑想やお手当、岩盤浴などの止まってやることは不得意なことになった。


これらのことは体や心の癒しになるということでやっている人がたくさんいたので、私も最初はやろうと思って始めたが、なんかじっとしていると落ちつかずうまくいかない。


なので、身体を動かくことばかりしていた結果、身体を動かさないことは不得意なことになりあまりしなかった。


先日、ある方から「得意なことばかりやっていると、うまくいかなかったことを置き去りにすることで、不得意が生まれる。」という話を聞いてなるほどと思った。


私は常に自由に動いていたほうが性に合うので、事務系の仕事を選ばずに百貨店に就職をしたが、まだ動きたらずにボクシングを始めたのだった。


そしてさらに動いてばかりいたら、今度は「考えること」や「始末」まで不得意なことになってしまった。


でもやっぱり人間は性に合うことをやっていたい。


思い返せば、私は自由に動き回ることができなくなってがんになったのではないか?


そう思ったとき、不得意なことを無理してやる必要もないし、できなくったっていいじゃないか?と開き直ることができた。


得意なことをどんどん伸ばし、不得意なことはどんどん置き去りにする。


無理して不得意なことをやろうとしたら、せっかく得意としていることの個性が奪われてしまうと思った。


織田=考えずに突き進み、止まれない、やりっぱなし


なんて思っている人が多いのじゃないかなぁ()


そして懲りずに、いまだにあまり考えずにやりたいことをやって動き回っている。


とことん、得意なことを伸ばして進んでいくのが楽しいから。


でも、「だれか私の近くで止まって考えて、きっちり始末をつけてくれる人が現れないかなぁ?」なんて都合の良いことを思っている今日この頃です()


「意味は自分で作る」6月10日

私たちの身の回りで起こることにはすべて〝意味”がある。

なんかよく聞く言葉ですね。

何を隠そう私もそう思っていました。

私の場合、がんになった意味をずっと探そうと思っていましたから。

しかし、今はちょっと違った考え方をしています。

起こった物事自体には意味がないのでは?と

私は”意味”とは「意向の味」

意向とは心の向かう方向であり、どうしようかという意志

起こった出来事に対して自分がどこに向かって行くかという意志をもつこと。

そしてその結果、その出来事に対してどんな味を付けるか?だと思うのです。

例えば、私がガンになったこと自体には意味はありません。

私の場合、がんになったことで死ぬことを恐れるのではなく生きる方向に向かうと決め、がんになったことに対して悪いのではなく〝良かった”という味付をしようとしました。

そして今はその通りの人生を送っているのが現実です。

つまり、〝意味”とはあるものではなく、自分自身がどう生きるかによって創り出すものだと思うのです。

したがって、”意味”なんてものはない。

意味を探している間は自分の向かう方向が決まっていないから、その出来事に対して味をつけることなんてできっこないのでは?

生まれてきた意味、生きる意味、人生の意味、病気になった意味・・・・・

そんなものはありゃしない。

意味を考えるより、まずはどんな味付けをして、どんな料理を作るかを決め、調理を始めることが大切だと思う。

だから「あー美味しかった」という結果を残せるのだ。


「ゴツゴツした人生」6月7日

がんになってからの9年間を振り返ると、ほとんど平坦な道はなくゴツゴツとした道のりを歩んできたなぁと感じる。


それまでは、アスファルトの上をスイスイと走ってきたが、いきなり大きな落石が目の前を塞ぎ、やっとの思いでそれをはねのけたら目の前には舗装もされておらず石ころばかり・・・


大きな石ころや、穴もあいていた。


最初の頃は、ハンドル操作もままならず不安、戸惑いばかりだったが、何時の頃からかこんなゴツゴツ道を運転するのも悪くはないと思うようになった。

その理由は、ハンドル操作次第で目の前の展開や景色が変わったり、止まって車から出て障害物を避けないと前に進まない時もあるが、みんなで止まらなければいけない信号はあまりない。


つまり自分の思い通りには行かないことも多いが、自分の意志で進んでいくことを感じることが出来るのだ。


舗装されたアスファルトの上を走っているときは、ただハンドルを握りアクセルとブレーキの操作でスピードを上げたり下げたりしているだけ。


それに比べたらデコボコ道は、まさに波瀾万丈、何が起こるか分からないということ自体が、なんだか楽しく思えるようになったのだ。


そんな道のりを振り返って


負担のある人生の方が生きている実感がある。


リスクばかり回避していたり、要領よく立ち回る人生は面白くない。


ゴツゴツした人生もそんなに悪いものではない。


ゴツゴツを障害物と捉えるか?アトラクションと考えるか?


遭遇した人の気持ちの問題のような気がする。


「関心を持つ」6月5日

マザーテレサは愛の対義語は無関心といった

好きでも嫌いでもそれは関心を持っているということ

そう考えるとDVが愛の裏返しということも納得できる

私たち人間は関心を持つことで良いにしろ悪いにしろ行動ができる。

そして無関心は刺激が無くなるから行動もできなくなる。

最近の若者は無関心、
というより関心を持てるものが無いといったほうが良い

その理由は目的がないと行動しないから

目的があるものしか関心を持てないのは、自分が関心のないものには無関心ということ
見返りのないものには無関心ということ

つまり関心をもつとは、見返りや利己心がなくても行動すること

それは感じたまま行動することでなないのだろうか?
目的、見返り、利己心・・・これらはすべて頭で考えることで発生するものだ

頭で考えず、今この一瞬に五感で感じたことに関心を持つことが即ち「愛」だと思う。

「良い夢を!」6月4日

私ががんになり自分の命が後どれだけつづくのか?がわからない不安な状態から立ち直り、ここまでやってこれたのは良い夢を描き一歩づつ進んできたからだと思う。


その当時の夢は“がんから復活して元気になり、その体験を多くの人に語ること”。


今の私を知っている人には信じられないかもしれないが、私は人前で話すのが嫌いで苦手だった。


パニック障害もあり、吐き気と震えがくるので安定剤を飲まなければ人前で話すことは出来なかった。


そんな状況のなかで管理職になり毎朝朝礼をしなければいけなくなり、毎朝安定剤が必要になったのも、がんになった原因の一つなのかもしれない。


そんな状況のなかで、「自分の体験を人に語り、今の自分のように苦しんでいるひとの希望になりたい」と思い、その姿をイメージし前に進んだ。


それは、当時の自分からすれば、妄想のような夢だった。


しかし、がんを克服するにはこれまでとは違う新しい自分に脱皮しなければいけない。


私は“さなぎから蝶になって羽ばたく姿”を目に焼き付けた創造した。

そして、「自分には出来る!」と信じた。


勿論根拠なんてまったくない。


それからは、今までだったら絶対にやらなかったことをやろうと思い実行した。


同じことしかやらなかったら、変わることは出来ない。


その結果が“今”だ。


私は自分の経験を通して思う。


今の自分に出来ないことをやろうとするから意味がある。


簡単に出来ることをやる人生に何の意味があるのだろうか?


苦しいときこそ、バカみたいな大きな夢を!もつことが大切なのだと。


思い浮かべると“笑っちゃうくらい”


その笑いを私は原動力にしてきたから(笑)


「死があるから、今がある!」6月2日

ガンになる前、私は未来のことばかり考えていて、知らず知らずのうちに今を先送りしていたような気がする。


今は○○だからできないが、いつか○○になったらあれをしたい。


今はまだ○○とは言えないが、いつか○○と言ってやろう。


なんて考え、様々なことを先送りしてきた。


しかし、ガンになって5年生存率20%、再発したら長くて余命半年と言われてから、私の未来がなくなったように思った。


死んだら未来はなくなると。


でもそれを言い換えれば、死ぬまでは未来は続くということ。


だだ、永遠に続くと思っていた現在が、いつかは無くなるという現実を目の前に突きつけられただけで、それは誰しも同じことだと思った。


いつ死ぬかわからないとなったら、今を先送りしていては一生出来ずに後悔を残して死ぬ事になる。


ならば、今やるしかない!


そう考えて、やろうと思ったことはすべてそのための行動を起こした。


すると不思議なことに、やろうと思ったことはすべて実現をしていくのだ。


もちろん一直線ではなく、紆余曲折はある。


今の行動が未来を創る。


さらに言えば、いま行動せずに先送りしていたら未来は創れない。


今の時代、夢も希望も失ってしまっている人が多いのは、死を恐怖の対象として遠ざけてしまっているからのような気がする。


そして、今はいつまでも続くと思っているから、一歩踏み出す勇気がないのだ。


今は必ずいつかは終わるし、そのいつかはいつやってくるか解らない。


死とは今が終わる時。


だから死があってこそ初めて、今を感じることはできるのではないかとおもう。


そんなことを感じたので私は、ガンから蘇った!


「がんは滋味」5月30日

ある本に“美味しさの深まりは、実は苦味が握っている”と書かれていました。

また、苦味は滋味、妙味とも

それを読んで、私がふと思ったのは、苦しみも味わいの一つ。

幸せの深まりは、苦しみが握っているのでは?
子供に苦いものが美味しいよ!と言ってもわかるはずがなく、まずいといいます。

しかし、ふと食べて「美味しい」と感じた時から、滋味・妙味となるのです。

とすれば、ポイントは 食べてみようか?と思うことです。

どうしたらそう思うか?

美味しそうに食べている人を見て!
頭で考えたり教えられたりしてではなく、見て感じることで行動は起こるのです。

癌になって患者会に関わったことで、私はがんになっても幸せそうにしている人にたくさん会い感動しました。

そして、どうしたらそうなれるのか?

とても苦しいはずなのにどうしてこんなに幸せそうなのか?

と思ったことで、苦味を味わってみようと思ったのです。

頭ではなく心が感じたんですね。

苦しみとは一つの現象を頭が「苦しみ」とインプットしたときに始まります。

インプットされてしまったものを頭で、苦しみは幸せの始まりだと言ってもわかるはずがありません。

いくら言葉でそのほうが幸せになれるのだ!といっても。

だから、私はそれまでにやってきた一方的に多くの人に伝える講演会活動主体から、20人以下の少人数で話をする講座やサロンなどの場作り主体に切り替えてきました。

そして、もう一つ思ったことは、伝えるより私自身が幸せに生きること。
そしてその姿を多くの人に見ていただくことだと感じました。

その場が「めぐみの会」

苦しみを幸せに変えようと前に進む人が集まる場所!

そんな場ができればどんな人でも幸せで楽しく生きるきっかけを掴めるのではないかと思っています。

実はがんになって患者会に関わり出したときに「患者さんがもっと気軽に集える場所を作りたい!」という思いがありました。

当時は私自身がまだ不安いっぱいで夢物語でしたが、強く思って今やるべくことをきちんとやっていれば必ずできるという、根拠のない自信はありました。

そんな経験を通して私は、苦しい時、辛い時、自分だけではなくみんなが幸せになることを目指して進むことが大きな力をもたらせてくれるような気がします。

それが苦しみから逃れるために行動を、たくさんの幸せを得るための行動に変えることにつながり、応援してくれる人も増えてきますからね!

みんな元気になぁれ(^^♪

「常識という見えない檻」5月29日

私たちの人生は知らず知らずのうちに「常識」という見えない檻の中に入ってしまっている様な気がする。


そして、その中の集団心理が人の心を拘束してしまっていることが、時代に閉塞感を生み、幸せを感じることも薄れさせる・・・


今の時代、「幸せになろう!」と思ったら、常識の檻の中にいてはいけないと思うのは私だけだろうか?


私は、ガンになる前も勿論「幸せになりたい!」と思って生きてきた。

しかし、仕事をしているとどうしても「幸せ」と感じる時間から遠ざかっていった。


その結果、仕事を続けることが 「幸せ」につながっていくと無理矢理決めてがむしゃらに働いた。


立ち止まると現実と直面してしまうので走り続けた。


今思うと、それしか「幸せ」を近くにおいておく手段はなかったのだ。


そしてある時、見せかけの「幸せ」にむかっていたエネルギーが突然切れ、ガス欠状態になった。


子供の幼稚園最後の運動会に参加できなかったという、人からすれば些細な(?)できごとだった。


これまでもそんなことは何度もあったが、その時は絶対行くからと約束をしていて前日まで行ける予定だったが、前日の夜、中日ドラゴンズが優勝したのだ。


当時、私は三越のお菓子売場のマネージャーでドラゴンズ優勝セールの初日に休むなんて言うことは絶対に出来なかった。


50以上あるショップにも、部下にも完璧な販売体制をとることを指示していた。


数日前から、この日がXayになりそうな予感があったが見事に的中したのだ。


そして当日朝、相当後ろめたい思いを振り切って出勤した。


しかし、会社に行っても「いったい俺は何をしているのだろう?」と思い、“心ここにあらず“の状態だった。


そして翌日の朝、「電池が切れた」


布団が泥沼のように体を包み、そこから出ることが出来なくなり会社を休み、そのまま3ヶ月休職となった。


「鬱病」を発症したのだ。


3ヶ月休職をしたが、向かう方向に「幸せ」を見いだせなくなったことで、生きるエネルギーも薄れていった。


しかしそうなっても「常識の檻」の中では働かなければいけなかった。

 

人生に幸せを見いだすことが出来なくなったことは、生きている意味も分からなくなったということ。


その1年後、「食道ガン」が見つかった。


今振り返ると、会社に復帰して意味も見いだせないまま以前以上に頑張り、酒におぼれ、生活も乱した結果、なるべくしてなったのだ。


たぶん潜在意識が“自ら望んだ”のだろう。


がんになって、これまでの自分を掘り下げた結果そんなことがわかり、常識の檻の中にいたら潜在意識が死を望んでしまうと思い、檻から脱走した。


それが出来たのは、もし鬱を発症したあの時「常識の檻」をうち破る勇気があったら、鬱にもガンにもならなかったという確信があったからだ。


結局は、自分の信頼を自分で断ち切ってしまったことがすべての原因だと思った。


常識とは人からの信頼を得るために従うこと。


それがもし自分の信頼を奪うことだとしたら・・・・


私は常識の外で生きる決断をして実行した。


自分自身の信頼を回復するために。


すると


「幸せ」を感じることができ、生きる意味も見えてきた。


「幸せ」を感じることが出来なくなったら「常識という集団心理の檻」を認識することが大切だと思う。

「利他の心」5月28日

あれが欲しい、これが欲しい!

以前の私は常に何かを欲していました。

今振り返ってみると、その理由は「自己犠牲の見返り」だったような気がします。

自分の持っている「時間」「お金」「家族」等を犠牲にして毎日を過ごし、こんなにまでしているんだから当然得るべきものは得なければいけない。
得るべきだ!と無意識のうちに思っていました。

とはいっても、そうは思うようにはなるはずがありません。

その結果、常に不満や不安が沸き起こり、さらに欲の炎はめらめらと燃え広がっていったのです。

そして癌になった当初も同じように、自分の大切な時間やお金を使っているのだから、健康を得なければいけない。得られるべきだ・・・・・・

しかしあるときそれは結局癌になる前の心とまったく変わっていないことに気付きました。

一所懸命生き方を変えたり、身体に良いことしても心のざわつきは以前と同じだったから。

それの気づいたのは、患者会のボランティアをはじめてことがきっかけです。

最初は患者会に入れば何かが得られるかも?と思いました。

そしてその中に入ってみると、癌にも関わらず生き生きとしている人が何人かいたのです。

この人たちはどうして?自分と同じようなことをしているのいに何が違うのか?

色々話を聞いていて行き着いたのが「心のあり方」

私を含め多くの患者さんはまずは見返りとして”癌が治る”という見返りを求める心で毎日を暮らしている。

なので、ここまでしているのに何で良くならないのだ?いつになったら・・・・・

これでは不満と不安が交錯して心は落ち着くはずはありません。
イコール=良くならない

しかし、生き生きとしている人は、同じことをしていても、自分の時間やお金を自分の身体や他人のために使っている。

自分が今までに何年もかかって経験したことを惜しげもなく他人に話したり、さらには世間にたくさんいる患者さんや予備軍の人たちにもメッセージを発していました。

そして、お手当てや食事療法も、今まで散々痛めつけてきた自分の身体へのいたわりの気持ちが先にあるので、癌が治るのを見返りとしてではなく、結果として受け止めていたのです。

なのでこの人たちは何時でも笑顔で元気でいられるのだ!

私は、今まで自分にも他人にもなにも与えずして、受け取りたいと思うことで我欲を生み心が乱れてたことに気付き、患者会でのボランティア活動をはじめました。

すると不思議なことに心が軽くなってきたのです。


また、今まで苦しんできた欝の症状もどんどん消えていきました。

患者会時代、「利他の心が病を治す」という話をすると、ほとんどの方は「それは良くなってからだ!」「あなたは元気だからそう言えるんだ!」と反論をされました。

しかし私は元気や健康というものは、頭で考えるのではなく行動の結果だと思います。

そしてその行動とは元気や健康を得るためではなく、自分や他人に暖かな気持ちを与えることで結果として得られるものだと思っています。

ただ、ただ、自分の心が温かくなることをイメージし行動に置き換える。

すると、不思議なことに体は良くなってしまうのです。

それは本当か?

と考えることこそが、すで見返りを求めていることなんですよ
(笑)

「自主性と自己責任 2」5月26日

サラリーマン時代、仕事にはこの2つが大切だと自分にも周りにも言ってきた。


仕事は自分で探し、その結果には責任をとらなければいけないと。


そして、自分はそれをきちんとやってきたと言う自負もあった。

しかし、病になって仕事をやめて、それは会社という組織の中でのことだったと解った。


たとえにならないかもしれないが、喫茶店のメニューを見て何を選ぶか?を自分で決め、注文したものの味がどうであろうと責任を持って食べるということとあまり変わらないような気がした。


仕事を辞める前と後では、自主性と自己責任というものの重みが全然違う。


会社を決めてから自主性と自己責任を持つとは、最初に食べるもを決めて素材や調味料をすべて揃えて料理を作って食べるという過程が必要だった。


理想のものを食べようとしたら、こだわった素材や調味料を使わなければいけないし、料理も学ばなければいけない。


つまり、自主性と自己責任を持つには、不安や迷いの中を突き進む信念と覚悟が必要なのだ。


私は、がんを治すために自主性をもった。


不安や迷いとの戦いだった。


その結果に責任を持つ。


たとえ死ぬことになっても・・・・


決して大げさな言い回しではない。


そんななかで、医者には行かず自分で何とかする!


その結果悪くなったとしても受け入れる。


と決めることができたのは、やっぱりサラリーマン時代に自主性と自己責任を重んじてきたからだと思う。


小さなことでも繰り返し経験を積めば、大きな岐路に立った時に必ず役に立つのだ。


そんな経験を経て、


自主性とは、自分に対する素直さであり直感。


自己責任とは、腹を切る覚悟。


ふと〝大相撲の行司さん″が思い浮かんだ!


迷わず、感性に従い、軍配を上げる。


その潔さがあるから、力士も土俵で命を懸けることができ、軍配に従う。


自主性と自己責任


それは武士の魂のようなものなのかもしれない。


「自主性と自己責任 1」5月23日

私はガンになって5年生存率20%前後の状況から、今もこうやって幸せに生きていることが出来るのは、人生に自主性と自己責任を持ったからに他ならないと思っている。


もしガンになった後、他の多くの人のようにしていたら・・・・

 

ガンになったことを自分に責任だと思わなかったら・・・・


今思うとぞっとする。

 

そんな自分を振り返ってみると、ガンになる前には自主性も自己責任もまったくなかった様な気がする。

ほとんどが他人や世間の目を気にして自主性を失い、それを他人や社会の責任に転嫁していたのだ。

 

でも、たぶんそれは自分に限ったこと出はなく、ほとんどの人がそうだと思う。


そんな経緯を経て、また現状をふまえて、ガンの原因は「自主性と自己責任を失ったから」


そして、ガンが治らないのも然り。


ガンになりたくなかったら、ガンを治したかったら、再発を防ぎたいのなら、“自分の人生に自主性と自己責任を持つこと”だと思う。


人に流されるのではなく、他人にすがるのではなく、自分のまいた種は自分でつみ取り、自分で進むべく方向を決めるしかないのだ。


それが人生を切り開くという意志を持ち生きることなんだから。

 

「食養生」5月20日

私は病になって「食養生」という言葉を知った。


「食養生」とは、健康保持や体質改善のため、体質・体調に応じて栄養を考えた食事をとったり節制したりすること。


でも、ある時その言葉の意味に違和感を持った。


だって食って“命を頂くこと”


その命を、単なる自分の健康保持や体質改善のためとして使うという概念でいいのだろうか?


“命”をいただく。


私は、それは頂いた命をなんのために使うか?という観点が大切だと思う。


そんなことを、感じて食養生をしている人を見ると・・・


食養生をして“治る人”と“治らない人”がいることの理由が解った。


同じものを食べても結果が違う・・・・


だとしたら結果を左右するものは、食べ物にあるのではなく、食べる側の人にあるのでは?と思った。


そして“食”によって良くなった人たちを検証して“何を食べるか?”より、“どう食べるか?”の方が大切な要素だと解った。


良くなる人は“食べ物が自分の未来を創造してくれるので有難い”という感謝の気持ち。


逆に良くならない人は“こんなにきちんと食べているのにどうして良くならない”という見返りの気持ち。


見返りを食べ物に求める。


食べ物は命の集まり、と考えたらそれは命の冒涜にほかなりません。


私たち人間に食べられている、野菜も家畜も、すべてその命を注いで私たちの命を繋げていってくれているのですから。


良くなるから食べる、良くならないから食べない!


なんて観点ではなく、命を有難く頂くことが私たちの命を賄う大きな力になるということを知ることで食事療法は成立するのではないのでようか?


「病と病院」5月23日

病院とは?

病を治すところではなく、病人を作るところ

私たちが病院に行くときとは、もしかしたら病気では?と思ったとき。

それは呼んで字のごとく、病を気にしたときですね。

そして、病院にいくとその人に”疾患”という病名を与え、そのときから、その人は病人になってしまうのです。

つまり病院とは、病気という人の心が所有するものを、疾患という人の体(臓器)が所有するものに置き換えるための場だと思うのです。

そして、病を気にして病院に来た人は、疾患という名前をつけられることで“安心”します。

安心”すると書くと、そんなことはないと思う人が多いかもしれませんが、もし病院で疾患という名前をつけられなかったら、こんなに体調が悪いのにどこも悪くないなんて・・・・

と不安になり、また別の病院に行くのではないのでしょうか?

おかしな話ですが、病院とは不安を安心に変えてくれるところなので、多くの人は病院から離れられなくなってしまうのです。

一旦は安心したとしても、病院は対処療法で症状はとってくれますが、病の根源は治せません。

すると、また不安を引き起こし、また病院にやってくるという不安連鎖の方程式にはまってしまうのです。

この安心ってやっぱりおかしいと思いませんか?

なので私は病を気にしたとき、見せ掛けの安心ではなく、病を気にしなくて良いような状態になること、すなわち“元気になる”ことを目指すことが必要だと思います。

そのためには、やっぱり病の根本原因となっている生き方、つまり体と心の使い方を変えることが大切なのではないでしょうか?

でも、病院にはその機能はありません。

そして病院以外にも、本当の意味での安心を得るために、支えあったり、学びあったり、高めあえる場ってほとんど存在しないような気がしました。

特に心の安心は。

だから私は病気の人に安心を導き、元気になってもらえる場として“めぐみの会”をつくったのです。

病院は火事になったときに消防署のようなもので、燃え盛る火は消してくれます。

しかし、消防署があるから安心して火事になれるなんてことありませんよね。

ならば、火事にならないような注意を行き届かせたり、もし火事になってしまったら初期消火ができるような体制を整えたり、消火した後のぼろぼろになった状態を協力し合って復興することができる場や仲間って必要だと思いませんか?


「奇跡を起こす力」5月22日

皆さん、奇跡を起こす力は誰にでもある!と信じられますか?


私は誰にでもあると思っていますが、それを妨げるものが常識や概念なのです。


奇跡なんて起こるはずがないと思っている人に奇跡がおとづれると思いますか?


ガンを治すのも然り


本当に自分に奇跡を起こす力があるのだろうか?


あの人は特別ではないか?


といった疑念を心の奥底に持ってしまうのは、現象として自分で体験していないからに他なりません。


そんな、疑念を払い、自分に秘められた能力を現象として体感して自身がつけばいいと思いませんか?


それを体感していただこうということで、6月21日「スプーン曲げセミナー」を開催することにしました。


どうしてめぐみの会でスプーン曲げ?と思われる方が多いと思いますが、これには大きな理由があるんです。


簡単に言うと、ガンを治すには、スプーンが曲がるような心が必要だということを知って欲しいからなのです。


今回のセミナーの講師をしていただいたのは、めぐみの会が合宿せみなーやっている樋渡さんが運営する癒手道本部道場の講師 まっちゃん


癒手道は伊勢自然療法学院ぽかぽか村の代表の樋渡さんが提唱している、人を幸せにするための施術法で、「楽に生きる道」「調和」を伝えています。


その考えはやっていることは違いますが、私たち"めぐみの会”とも志は同じです。


スプーンは曲げようと思ったら曲がらなく、スプーンに認められる人間になると曲がるそうです。


そして、曲げたい曲げたいという欲を捨て去り、曲がったら幸せだなーと心から思うことが大切なのです。


その心はまさしくガンを治す心。


ガンはいくら治そうと思っても治るものではなく、ガンが治るような生き方(体と心の使い方)をすれば治ってしまうのです。


人間の上から目線で都合にいいようにコントロールしようとガンを見るのではなく、生き物の目線にまで降りて自分らしく生きることだけに集中することが必要なのです。


もう一つこのセミナーで知ってほしいのは「信じる心」


ほとんどの大人はスプーンが曲がるはずはない!と思っています。


でもそれを裏返せば、曲がるはずがないと思っているから曲がらないということ。


それは、ガンを治そうとしながら、心のどこかで治るはずがないと思っていることに等しいのです。


曲がると信じれば曲がるし、治ると信じれば治る!


だから、スプーンが曲がるように自分の未知の力を発揮できるような心になれば、ガンは治るのです。、


なので、スプーン曲げセミナーななんです。


「曲げようと思ったらその心がスプーンに伝わるので曲がらない」


それは「人を変えようと思ったら、相手に変わるたくないという心が生まれて変わらない」と同じこと。


人を変えようと思ったら、スプーンを曲げようと思ったら「自分が変わるしかない」のです。


以前、めぐみ農場でスプーン曲げをやたとき一番最初にぐにゃーと曲がったのは子供。


それも女の子なんです。


そのあとなんと4才の子も曲がってお父さん、お母さんもびっくり!!


子供が曲がって、親が曲がらないというのは・・・・というプライドを両親のスプーンが感じ取り結構苦労していましたが、中盤には両親も曲がりほっと一安心なんて場面もありました(笑)


そして次から次に皆さん曲がり始めて、曲がった人がまだ曲がらない人に、みんな曲がったらいいなと愛を送ることでその場の幸せ感が充満して、さらにどんどん曲がるのです。


結局、曲がらなかったのは40人中2人だけ。


その人たちは、「曲がるわけない」とい常識からの先入観があったのかな?


そそて早い段階で曲げた女の子は、みんながやっている間さらにスプーンをくにゃくにゃしてたら、なんと折れちゃったんです!


やっぱ子供の純粋な心って凄いなー(^。^)y-.。o○


やっぱり、ガンを治すために必要な心そのものだなぁと改めて感じています。


「生きるための糧となる食」5月21日

私はこれまでさまざまな「食」の活動をしてきましたが、そこで私が伝えたかった“食”


それは「生きるための糧となる食」です。

では「糧」とは何か?


精神、生活の活力の源


そして“食”とは「人を豊かにするもの」


つまり、私が伝えたい“食”とは、食べることにより精神や生活が豊かになる食なのです。


それを具現化したものが現在、日進市にぎわい交流館 ワンディーシェフコーナーで毎月第1・2・5金曜日に営業をしている「めぐみえん」。


私はこれまでも、料理教室やカフェをいくつかやってきましたが、どれも少しニアンスが違うような気がしていました。


その理由は、人にやってもらっていたから。


人はそれぞれ思っていることや、感じていること、また味覚も違いますから、それは当たり前のことですね。


なので原点に返って、自分の伝えたい“食事”を自分で作って提供できる場を、自分でやってみないといけないと思っていました。


とはいっても、様々な活動をしているので、普通にカフェを営業することはできない・・・・


そんなことを思っていた時に、にぎわい交流館の話が来たのです。


月2・3日なら可能ではないか?と思い、ここでの営業を始めることを決めました。


今日は私が考える「食」のことを少し書きたいと思います。


私はガンになる前は20年以上、三越で“食”を仕事にしてきました。


三越の経営理念は「豊かな生活と文化を提案する世界の百貨店」


なので、私は三越時代の仕事は「豊かな生活と文化をどうやって“食”表現していくか?」という視点で進んできた。


しかし、ある時期からその仕事は“売上”“効率”“が優先となり“提案”は後になってしまい、「義務的に食べるもの」となり、その葛藤のなかで“がん”になった。


だから、ガンになった当初は、“食”が病になった原因だと思って“食べること=安心・安全=食養生=病気治し”として「義務的に食べるもの」となっていた。


ある時、それは私が“食”という仕事を通して「がん」になった過程の逆戻りでは?と感じた。


そう思うと今、“食が乱れている”ということの原点が見えてきた。


食とは義務的だったり、見返りを求めたりするためのものではなく、命を輝かすために命をいただくという行為なのだと。


“食”とは豊かさを感じること。


つまり、考えることではなく見て、感じて、食べて、美味しいという五感で、生きている実感を味わうこと。


それが喜びとなり、感謝となって、自分がどう生きるか?を導き出すためのものだと思うようになった。


しかし、今の“食”は?となると


健康な人には空腹を満たすもの、


病の人とには体を良くするものと、ともに“義務的”であり“見返りを求める”もののような気がした。


そう思って原点に帰った時、食とは三越時代に求めてきた“豊かさを感じる”為のものなのだと解った!


その豊かさとは“見て、感じて、食べて美味しい”ということ。


それが喜びと、感謝をわき起こす原点なのだ。


誰が、どんな思いで、どれだけの時間を割いて、自分のために作ってくれたのか?


それを測る尺度がが“見て、感じて、食べて、美味しい”という観点だと思う。


でも、私はこれまで食に関わってきたなかでほとんどが、“自分の思ってきたことの正しさ”に拘ったもののような気がした。


だから、本当に伝えたかった食は自分で作って表現するしかないとおもって、日進市にぎわい交流館で“ワンディーシェフ”を始めた。


ここで私が作っているランチは「見て、感じて、食べて、美味しい食」


見て・・・“色・バランス・シズル感”


感じて・・・“食材や調理した人、自然の力”


たべて・・・“素材と調味料との出会い”


頭で何がいいと考えるのではなく、そんなことを感じることを最優先にしています。


めぐみえんでは、これらのすべて感じていただき「美味しい」と言っていただける料理を目指して提供しているのです。


なんて、偉そうなことを言っていますが、きちんと料理を学んだわけではなく、すべてはこれまでの経験と自分の味覚、そして素材と調味料の創造性だけの自己流なのであしからず(笑)


「食事は病を治さない」5月18日

がんや病になったとき多くの方が「玄米菜食」のどの食事療法をされます。

しかし、食事療法をいくら徹底していても良くならない方、なーんちゃってでも良くなっていく方がいます。

その理由は?

一言で言えば「何を食べるか?も大切だが、どう食べるか?が大切」ということです。

食べ物が病を治すのではありません。

病を治すのは患者さん自身。

だからこそ、食べ物を変えるより、食べ方を変えることが大切なのです♫...


私もがんになった当初は、「治すための食事療法」でした。

しかし、ガンの患者会の活動をしていて「食」のあり方に関心、いや疑問を持ったことがきっかけです。

患者会では三大療法を否定して、自然療法(自助療法)を推奨し、そしてそのほとんどの方が食事療法を取り入れていました。

しかしその結果は?

というと進行は遅くなったり一時的にとまったりはしますが、良くもならない患者さんが多いのです。

中には悪くなる患者さんもいます。

ガンという病の場合、悪くならないだけでもいいのかもしれません。

しかし「食事療法」は治すためにやっているはず。

「どうしてだろう?」それが私の疑問でした。

そして多くの患者さんと接していて良くなる人の共通点が見えてきました。

それは、栄養素や何を食べているかではなく、「食べ方」にあります。

「おいしく・ありがたく・たのしく」食べているのです。

私達は一日、少なくても3回は「食べる」という行為を行なっています。

たとえば、食事療法を「なぜこんなものばかり食べなければいけないのだろう?

ガンになってしまったせいだ!」と嫌々食べていたらどうでしょうか。

それは少なくとも1日3回とても嫌な思いをしたり、気分が落ち込んだりするはずです。

中には「生きている楽しみがなくなってしまった」といわれる方も少なくはありません。

 ガンになった人に原因はなんでしたか?と聞くと多くの方が「ストレス」といわれます。

「ストレス」の多くは、意向と現実のギャップから生まれます。

「本当は仕事なんかしたくはないが、家計のためにしなければならない」

「自分の時間が欲しいが、亭主や子供のことをしなければいけない」などなど。

「~しなければならない」が多くの原因です

そのストレスが原因でガンになって、治そうとするときに、「本当はおいしいものを食べたいが、こんな食事をしなければいけない」というストレスを新たに発生させて治ると思いますか?

それも1日3回も。

ガンを治すうえで大切なことは、皆さんも知っていると思いますが、副交感神経を優位にさせて、リンパ球を増やすことです。

なのになぜ、治すために交感神経が優位になってしまうようなことをしているのでしょうか。

その答えは「動機」です。

多くの人は、ガンから逃れるために、ガンを攻撃するために「食事」を使っています。

いわば武器のようなもの。

そしてそれは、ガンを切り殺す「手術」、毒殺する「抗がん剤」、焼き殺す「放射線」まったく同じだと思いませんか。

すべては逃げたり、攻撃したりするガンという悪者から逃れるための「マイナスの動機」です。

しかし治すために必要なものは、楽しいものを手に入れる「プラスの動機」です。
「食事を変えること」で幸せが、手に入ると思えば、その食べ物は「ありがたいもの」と感謝できませんか?

即ち食べ物が幸せの源と思って「おいしく・ありがたく・たのしく」食べる事なのです。

その結果としてガンが治るのです。

ガンになった人の多くは、ガンになる前は自分の欲望のまま必要以上に、美味しいものや、お酒をたくさん飲食していたのではないでしょうか?

体は悲鳴を上げているのに。

私自身も、百貨店の食品部門で働いていたので、高カロリー・高たんぱく・高脂質の美味しい物を腹いっぱい食べ、浴びるようにアルコール依存症になるまで酒を飲んできました。

だからこそ、いま体の声を聞くことを大切にしています。

「食事療法」の本質はガンや病を治すためではなく、

今までの自分を改め新しい未来を手に入れるためには食べ物を変えて、傷めてきた自身の体に愛情を与えてあげなければいけないと気付く必要があるのです。

食い改めるとよく言いますね(ちょっと違いますけど(笑))

「食べる」ということは生きるうえで必要不可欠なものです。

しかし、多くの人はそんなことを考えずに空腹を満たすために「義務的」に食べてしまっているのではないでしょうか。

私達の体はすべて口から入れたもので出来上がっています。

とすれば「何を食べるのか」はとても大切なことだと思いませんか?

そしてその食べの物のほとんどは自分が作ったものではありません。

生きていくために必要不可欠なものを他人が作ってくれている。

そして自然が作ってくれていると感じたら感謝できませんか?

「苦しみから逃れる!」5月17日

癌になったとき、ほとんどの人に「苦しみ」が訪れます。


良く「目の前が真っ暗になった」と言いますが、私の場合は最初は「真っ白」でした。


これは何かの間違いか?・・・・

なにも考えられる状態ではありません。


そして、そこから現実を見てこの先を考えることで「真っ暗」になりました。

「一寸先は闇」との言葉がありますが、その闇はいつまで続くかわららない闇でした。

もしかしたらこのまま・・・・・なんてことも考えました。


癌とは苦しみ


癌になったほとんどの人が感じることですし、癌ではない人も癌になったら苦しみしかないと思っています。



その理由は、私たちが目にしたり、聞いたりする癌患者さんのほとんどが苦しみを抱えながら闘病をしているからです。


しかし、本当に癌は苦しみなのでしょうか?


私は、自分自身の経験、そして多くの癌からの生還者を見てきた経験から癌になったときに苦しみの中にどっぷり浸かってしまったり、悲劇のヒロインになってしまうことで、苦しみがやってくると思いました。


解りやすく言うと、癌になって本当に苦しいのではなく、苦しみのイメージを自分に重ね合わせ様々なことを考えてしまうことで、本当に苦しみがやってくるということです。


私たちが癌になったのは病院で癌と宣告されたときです。


宣告された時にがんが急にてきたわけではありませんから、その前にも私たちの身体には癌はあったはずです。


しかし、告知される前までは何の苦しみもなく毎日過ごしたいたはずです。


と言うことは、体や心は何も変わっていないのに、そのイメージで苦しみが発生していると言うことなのです。


私は癌になって最初はとても苦しみました。


しかし、イメージが苦しみを作っていることがわかり、イメージを書き換えました。


治った人や癌にもかかわらず元気で生きている人に会ったり、治った人の本をよんだりしてイメージを書き換えたのです。


どうして同じ癌になったにも関わらず、その人たちは苦しみを越えることが出来たのか?


癌になった現象はその人たちもまったく同じです。中には余命宣告された人もたくさんいました。


しかしその人たちのほとんどは、癌になったことで生き方を変えたという共通点があったのです。


そして、自分自身の生き方も変えました。


癌という病や苦しみは私たちの身体と心の使い方、即ち「生き方」が作ったものだから、それを変えることでイメージも変わってくるのです。


そんなことから、私は今は「苦しみ」は私たちにとってとても大切なものだと思うようになりました。


「がんになった意味を紐解く」5月17日

私は、「ガンになってしまった」という問題を解決するための3つのステップを践をしました。

3つのステップとは?

「当事者意識」を持った上で

1段階 原因を紐解く

2
段階 解決法を紐解く

3
段階 意味を紐解く   

この3つを順番に行うのです。


因果応報という言葉がありますが、癌になるにはその原因が必ずあります。


それを一つ一つ紐解いていくのです。

特に心の部分は丹念に紐解くことです。

わたしは「原因を紐解く」ことは、溝さらいに良く似ていると思っています。

臭いからと言ってそのまま放って置いたら臭いはそのままだし、更に臭くなってきます。

臭いけど汚したのは自分なのだと自覚して、溝掃除をすることで臭いもなくなりきれいになります。

それをすることで、同じことを繰り返さないようにもなります。

「原因を紐解く」こととは、即ち「責任をとる」ことでもあります。
 

そして次に「解決法を紐解く」です。

ここで大切なのは第一のステップ「原因を紐解いた」結果に応じて解決法を見つけることです。

癌になったとき多くの人は1のステップを経ずして、解決法に目がいきます。

しかし、結果だけを解決したとしても原因がそのまま残っていれば、何度でも同じことが繰り返されます。


癌が何度でも再発するように・・・・

したがって「解決法を紐解く」とは、原因になったことを一つ一つ解決をしていくこと。


「もしかしたら意味があるのでは?」

と思ってその出来事を紐解くという作業を自分のなかで始めることが大切だと思います。

それまでの人生の棚卸しです。

私は長年百貨店で勤務していましたが毎年きちんと棚卸しを行います。(当たり前ですが)

当時の記憶では、棚卸とは、商品の有高を性格に算出し帳簿を修正するための決算の中で一番重要な業務である。

そして、更に重要なことはその商品内容と売り上げの関連性を見つけ、その結果によって次なる新しい計画や戦略を立てることです。

これはまさしく私たちの人生にも当てはまります。

癌になったときは、「今までの人生の棚卸し」をする時期なのです。

それによって、新しい人生を歩むためのスタート地点に立ち、

「もしかしたら意味があるのでは?」

と思ってその出来事の意味を紐解くという作業を自分のなかで始めることが大切だと思います。


私にとってがんは「もう、そんなにがんばらなくても良いんだよ!、もっと自分を大切に生きなさい!そうしなければ死んじゃううよ!!」


そして「もっと自分らしく生きれば、幸せになれるよ!」


というメッセージという意味ではないか?と思いました。


それを信じるか、信じないか?はその人の考え方なので私がとやかく言うことではありません。


でも、私はそのメッセージとしての意味を受け取って、生き方を変えたことで10年元気に生きているし、がんになる前より幸せになったという実感があります。

がんになったという現象は同じだったら、そこに意味を持たせるか?不運として捉えるか?


あなたなら、どっちが幸せになれると思いますか?


「当事者意識」5月16日

癌になったとき「当事者意識」はもって当たり前だと思う人が多いかもしれませんが、「当事者意識」を持っていない人は思ったよりたくさんいるような気がします。


これは癌だけに限らず、自分の身に災いが起こったときも然りです。


実は私もその口でした。


がんになったには自分に責任はない・・・・


これは突然降りかかった災難なんだと


癌になったことから「逃避」したいという願望から、癌になる前の自分の姿を脳裏に映写して、そこに自分の行動や考え方を重ね合わしていたのです。


その結果、以前の自分と、過去の自分との乖離に苦しみました。


どうしてこうなってしまうのか?


現実からの逃避願望からです。


今の自分を受け入れることができないから、過去のよかった時の自分と何も変わっていないと思い込もうとする心があるんです。


つまり、「当事者意識」が欠落していると言うより、あえて持たないようにしているといったほうがいいかもしれません。


昔と同じような仕事をしなければ・・・

ライフスタイルに戻さなければ・・・・


これは決して悪いことではありません。

目標をもって生きることは大切ですから。


しかし、癌になる前と、後とではスタート地点が違うことを知らなければいけません。

癌になってしまった体と心

治療で更に傷ついた体と心


癌になる以前とはまったく違ってしまった自分、そしてそこまでにしてしまった自分に目を向けなければいけないのです。


それは辛いことかもしれません。

しかし、そこをスタート地点にするからこそ、新しい人生のスタート地点に立つことができるのです。


以前の自分がいた場所をスタート地点にしてしまうことで、心と身体は同じことが繰り返され、以前の自分との解離に苦しむようになってしまいます。


私は抗がん剤と大きな手術で様々な後遺症があります。

しかしそれがあるのが今の自分で、前の自分と比較してもどうしようもありません。


ならば、その新しい自分を受け入れ、その身体でどうやったら楽しく過ごせるか?

そして身体にあった生活やライフスタイルを探し出して実践してきました。


その結果、そのたくさんの後遺症があった身体の声を聞けるようになったし、今まで知らなかった大切なことに気づくことができました。


体が私の生き方を変えるためのお手伝いをしてくれたのだと思います。


一つ例を挙げると「腸の癒着」です。

そのために、術後2年目から頻繁に腸閉塞を起こすようになりました。
腸閉塞になったとき腸を徹底して暖めることで6~8時間後に腸は動きだします。


腸閉塞になるのには必ず自分に原因があります。

食べすぎや急いで食べた、消化に負担になるものを食べた、腸を冷やした、運動不足など


したがって、苦しむ6~8時は私にとって反省であり、身体に向き合う時間なのです。


そして、腸閉塞にならないように毎日お手当てなど様々なことをしました。


その結果、今は年1回くらいななったかな?


たまにやっちゃうんですよね♪


ここまで書いた内容で解っていただけると思いますが「当事者意識」とは、癌になったことや、降りかかった災いそのものを受け入れることです。


それは辛いことかもしれません。

しかし、癌になったことも災いも現実です。


その現実から目をそらしても何の問題解決にはならないばかりか、同じことを繰り返してしまいます。


自分が原因を作ってしまったことを認めることで、これから先の新しい人生の計画をたてることができるのではないのでしょうか?



「蛮勇」5月16日

「蛮勇」

それは、事の理や非を考えずに発揮する勇気。


私はあるときから、この「蛮勇」を持とうと決意した。


あるときとは?


がんの再発の検査には行かないと決めた時だ。


検査をしないということは非常識であって、理性的に考えたら有り得ない事だと思う。


検査をしていなければ、体調がいきなり悪くなって、時既に遅し・・・で多くの人に迷惑をかけることになるかもしれない。


しかし、再発に怯えながら定期的に検査をするということが、私には足かせのように思えた。


再発という足かせを引きずりながら苦しいものを背負って生きていくのではなく、今この一瞬を楽しく、幸せに生きることだけを決めた。


きっとそのほうが再発しない!という根拠のない自信があった。


常に自分らしく。


人から何を言われようと、どう思われようと。


自分を自分が信じてあげなければ、人から信じてもらえるはずがない。


そして、自分が自分らしく生きて、信じてもらえないならそれはそれで良いし、最終的にはそのほうが自分にとっていい結果になると、これも根拠のない自信があった(笑)


なので、これまでも「蛮勇」をたくさん振るってきた。


多くの人から「織田さんは、卓袱台をひっくり返してばかり」なんて言われたが、それは私にとっては自分らしく生きているという褒め言葉だった。


でも、そんなことを続けながらも、すべては良い方向に進んでいるという、根拠のない自信があるし、現実もそうなっているような気がする。


もしあの時、卓袱台をひっくり返していなかったら?と考えると、きっと足かせをはめられるという状態になっていたと思う。


思い返せば、このような性格は百貨店時代に仕事として「スクラップ&ビルド」を繰り返してきていたからなのか?


でも、当時は自分の心と反しても、会社のため売上を上げるためという選択肢でやっていたから結局はうつ病になる羽目になった。


今は自分の心のままにやっているので、とても楽しい。


多くの人は卓袱台をひっくり返すことは良くないことだと思っている。


私だって、ただ闇雲にひっくり返せば良いなんては思っていない。


他人に対しての怒りに任せてひっくり返してばかりいては、怒りが怒りを呼んで幸せになれるはずがない。


私が言いたいのは、今の自分の心に対して怒りを持たない為に、ひっくり返すという選択をしたほうが良いということだ。


理や非を優先にして、自分を閉じ込めて生きていて幸せになれるのだろうか?


卓袱台をひっくり返さずに我慢してる時は、心の中にモヤモヤが溜まっているはずだ。


そのモヤモヤは不思議なことに広がって大きくなっていく。


その結果、自分を見失い、生きることも楽しくなくなる。


「蛮勇を持つ」

それは自分らしく、幸せになるための手段なのかもしれない。


「成長とは喜びを見出すこと」5月13日

最近、ふと思うことがある。


人生に喜びを感じるには未来に向かって「新しい経験をすること」だと。


私たちは生まれたときは何もできなかった。


そして、新しい経験を積み重ねてきた結果、赤ちゃんから子供になり、大人になってきたはずだ。


それは決して楽なことではなかったはずだが、そこに喜びがあった。


つまり、成長とは喜びを見いだすことだと思う。


しかし、年を取るとそれをなくす・・・・


新しい経験をすることに臆病になり行動しなくなる。


その結果、楽しさはあるが喜びを感じることはなくなってくる。


私はそのことを、大きな手術をして何もできなくなって気がついた。


無理矢理とんでもない新しい経験をさせられたのだ。


しかし、何もできないというこれまでに経験したことのない状態から、どうなるか解らないけど一生懸命未来に向かって進んだ。


すると、そこには大きな喜びがあった。


あんなことも、こんなことも出来るようになったと!


それから、私は常に新しい経験をしようとやったことがないことばかりやってきた。


だから人からは、「色々やりすぎだ!」なんてよく言われた。


でも、私はこれからも新しい経験を止める気はない。


だって、ずっと成長していたいから。


生まれてきたことに喜びを感じて生きていたいから。


それが「生きている」ということだと私は思っている

「出会いと出来事」5月10日

先日、未来をワクワクさせるような出会いがあった。


「出会い」とは偶然、でも必然。
...

今はそう思うが、以前は「人脈」が必要だと思っていた。


どうしてそう思うようになったのか?


思い返せば7年前、私は三越を辞めたとき以前の人間関係を一時すべて精算した。


新しい出会いを作ることが、新しい人生を創ることだと思ったからだ。


大きなリスクを背負って仕事を辞めたのは、これまでとはまったく価値観が違った新しい人生を得るため。


以前の人間関係を継続していたら、まったく別の新しいものは出来ないと思った。


とはいっても、待っていたら新しい人間関係なんて出来ないので、1年くらいは有りとあらゆるところに居場所を作った。


今、振り返ると女性が多いところばかり行っていたような気がする(笑)


たぶん迷惑をした人もいたと思うほど、本当にたくさんの人に会いに行った。


そんなことをして、わかったことがある。


「出会い」がいくらあっても人生は変わらない。


大切なことは「出会い」を「自らの出来事」に変えることだと。


たとえ、どんなに素晴らしい人に出会ったとしても出来事にならなかったら、それは通り過ぎた過去にすぎない。


しかし、出来事に変えれば、その出会いは未来に継続していく。


そんなことがわかってからは、頭で考えて無理に人に会いに行くことは辞めた。


すると不思議なことに、会うべく人には一番良い時期にあえると言うことも解った。


つまり、自分の出来事をきちんとつくるべく行動をしていれば、出会うべく人には出会え、去るべく人は去っていくということ。


つい最近も必然的に人の断捨離が起こった。


そのときは「どうして?」


自分を責めた。


しかし今、それは必然だったと思える。


人が去ってゆく。


それは、自分が変わったから。


去らないようにしていたら、自分は変われない。


でも、多くの人は去っていかないために、自分を変えることを恐れる。


私はこれまでにの経験から、自分が変われば周りの風景も変わるということが解った。


そして今、また新しい景色がどんどん広がってきた。


「捨てれば得られる。」


言い換えれば「捨てなければ得られない」


" 捨てる勇気"


それが自分を信じるということのような気がする。


大切なことはやはり、出会いではなく、自らを信じて出来事を積み重ねていくことなのだ。


そうすれば、自然に出会いは発生し、さらなる出来事が積み上がり新しい未来が見えてくるのだと思う。

「がんは秘密兵器」4月30日

がんという病


それは様々な病の中で秘密兵器のようなものだと思う。


たとえば原爆


この一発で日本は泥沼だった戦争に終止符を打って、戦後の新しい時代に入った。


これと同じで、がんは泥沼に陥った自分の生き方に終止符をうつための秘密兵器。


しかし、終止符を打たなかったら・・・・・


その秘密兵器はまた炸裂して・・・・・


私の場合は高血圧、高脂血漿、肝機能障害などの病が襲ったが体に鞭打ってさらに戦闘態勢で進んでいった。


すると今度は心にも病が遅いうつ病に。


それでも、まだ泥沼のなかでもがきながらも戦闘モードのままだったので、最後には秘密兵器が登場したのだ。


しかし、私はここで戦いに終止符を打った。


戦争の負けを認めたのだ。


そもそもこの戦争は自ら始めたくて始めたのではなかった。


時代がそうさせてしまい、気づいたらやっていたのだ。


そして、兵士たちがお国に為といって命を投げ打って傷つきながらも戦ったように、私も自分が病で傷つきながらも家族のためと言って働き続けた。


なので、秘密兵器が炸裂した・・・・


その秘密兵器は「食道がん」


秘密兵器の中でも、強烈な方だったので私は終止符を打つことができ、新しい人生を手に入れ戦後に時代に入ることができた。


でも、その復興は簡単ではなかった。


これまでの膿を出しきらないといけない。


まさに戦後の食べものがない時代と同じような食べ物を食べ,物に頼った便利快適な生活から自家発電に切り替えた。


でも、そこには自分があり、新しい未来があった。


原発に頼っていたら原発がなくなったら電気は供給されず不安になるが、少量でも自家発電をしていれば使い方を変えれば未来に安心感は残るように。


そう思うと、福島の原発事故もガンと同じく秘密兵器だったのかもしれない。


でも、ガンと同じように誰もこれまでの便利快適、唯物的な生き方を変えようとしない・・・・


ガンも原発も原爆のような秘密兵器なのだ。


だからそろそろ終止符を打ち、最初は大変だけど新しい時代に向かって進みべき勇気ある決断をすべき時だと気付かないといけない。


さもないと、命は亡くなり、国は滅びる。


しかしそれは新しい時代が近づいてきてるということでもある。


だた、気づき生き方を変えるだけ。


それで新しい未来は誰にでも築くことが出来るのだ。


「新しいステージの扉」4月24日

自分の人生、全然良くならないし、何も変わらないと嘆く人がいる。


そんな人に限って自分自身は何も変えようとしない。


人生を良くしたい、変えたいのなら、これまでの選択を意識して、その選択を変えるのだ。


選択を変えるということは、それまでの選択を止めて新しい選択をするということ。


目の前に扉が2つあったとする。


これまでは右の扉を無意識にあけて進んでいた。


その理由は右側の扉の向こう側には何があるかが解っていたから。


そして、左の扉を開けたら大変なことになる可能性があるといわれていた。


また、右側の扉を開けた人はまた戻ってくるが、左側の扉を開けて入っていった人は戻ってこない・・・・・


何処に行ったのだろう?


次第に、いつも右側の扉の前にいる人のうわさでは、左に行ったら食っていけなくなり不幸になるといわれるようになった。


私も7年前、左の扉を開けようとしたときに言われた。


しかし、私は「選択を変えなければ、自分の目の前の景色は変わらない。」


「新しい景色を見るんだ!」と覚悟を決めて左側の扉を開けた。


何の根拠もなかったが、もう開けた扉には戻らないという覚悟だけはした。


その結果最初は不安いっぱいだったが、徐々に新しい景色が見え始め、生きている喜びや幸せを感じれるようになった。


そうなったら、開けた扉にまた戻ることなんて考えられない。


左の扉を開けた人が戻ってこない訳だ!


また、いつも右側の扉の前にいる人たちがどうしてあんなことを言っていたかもわかった。


〝右の扉を開け続けるための言い訳″なのだ。


脳は生命を守るために「安心・安全」を求める機能があるという。


しかし、安心安全だけを求めていたら人間以外の生き物は生きていけないだろう。


生きるということは、そういうことではないか?

でも私は「左の扉を開けなければいけない」と言っているわけではない。


右側を開けても「2つ扉のうち自分は選択をして右側を開けていると意識をしていれば良い」と思っている。


自分で選択していると意識していれば、嘆くこともなくなるからだ。


もう一つ大切なこと、左の扉を開ける前に、自分の手で右側の扉を閉じること。


右側の扉から出されたり、開けれなくなったりして、右側の扉を開けてもうまくはいかない。


戻ってくることもできない・・・・


大切なのは、右の扉を閉める覚悟と、左の扉を開ける勇気。


目的地がなければ、さ迷う人になってしまうから。


最後に間違えないでほしいこと。


私は左の扉を開けたほうが良いといっているのではない。


焦らなくても、新しいステージの扉はいつでも目の前にある。


選択を変えればいつでも人生は変えることができる。

 

どちらの扉を開けようと、選択をしているという意識さえ持っていれば、人は幸せになれるのだと思う。


そして、左の扉の先にある風景を自分で描くことだ。

「病気治しは、心直しから」4月24日

表面的ながんの原因は、食やライフスタイルなどの生活習慣や環境などが上がりますが、その根底には潜在意識という無意識の領域のなかで「生きている」ことへの喜びや目的の欠如があるのです。


すると、生きていても・・・・・という心が無意識の中に生まれ、その結果、無意識のうちにあえて食事やライフスタイルを乱すという選択をしてしまっている・・・・・


つまり、原因があって結果があるのではなく、結果を作るために原因を自ら作ってしまっている。


なので、原因を治すだけではガンは治らず、生きていることへの喜びや目的を持つことが大切になってくるのです。


この日の講座は、前半で精神の安定を図るための、3つの要素「思考」「意向」「感情」のバランスとその整え方のお話をさせていただき、後半で潜在意識のことをお話をしたので、約1時間30分の講座となりました。


簡単にざっと説明すると


「思考」は、現実をどう考えるか?


例えば、私の場合

「意向」は、何処を向いて、どう行動するか?


私はがんになったからこそできることをしようと行動しました。


「感情」は、今の自分の状態を教えてくれるもの。


 私は、毎日過ごす時間を「ワクワク」「楽しい」という感情が出てくることに使ったことで、幸せを感じることができるようになったのです。


つまり、これら一つ一つが何処を向いているかを、きちんと確認して修正していけば精神は安定していきます。


そして後半は先にも述べたようにう潜在意識のことを。


潜在意識が病を治したくないと思ってしまう「疾病利得」のことも話させていただきました。


疾病利得とは病気になって得したこと


周りが優しくなった

 
やることができた


気兼ねなくゆっくりできる


そんな気持ちありませんか?


それは病が治ってしまったら・・・・という潜在意識を生み出してしまうのでは。


私もる時からこれが芽生えて、治すために「病に頼らず目的を達成する」という決意をしました。


そして


・家族との時間をつくる


・新しい人生のビジョン(がんになったからできること)


・会社を辞めたのです。


これらの話、信じられるかどうか?はわかりませんが、私がこれまでたくさんの患者さんとカウンセリングや相談で話を聞いていると驚く程多くの方にこれらの意識があるのです。


「がんは心の病」4月19日

私は“がん”という病の原因は"自分の心”だと確信しています。


「がんの原因は生活習慣」それは間違いありません。


しかし、そのがんになる様な生活習慣を作っているのは、潜在意識が“がん”になることを望んでいるからだと思うのです。


それは、私がこれまで多くのがん患者さんと関わってきた結果、そんな気がするから確信に変わってきました。


何を隠そう私自身もそうでした。


現在、がんで亡くなる方は増え続け年間35万人近くになっています。


その原因は、人生に生きがいや喜び、そして幸せを感じることができない時代になってしまったから。


そして、がんが治らない病になってしまったのは、がんになったことで人生に生きがいや喜び、そして幸せを感じることができなくなってしまったからに他なりません。


その証拠に、がんから生還した人は、「何をしたか?は百人百様ですが、がんになったことで新しい人生を見つけ、喜びや幸せ、そして感謝の気持ちを取り戻した人という共通点があります。」


だから、私はガンを治すのではなく、生き方(体と心の使い方)を直すこと。
そして、がんに向かっていくるのではなく、幸せに向かって生きることが大切だと思っています。


それが、生き物としての生命力を最大限に発揮し、病を治す力になるのです。


「悪いという意識」4月14日

先日、父を見送ったが、私はずっと父を反面教師として意識してきた。


反面教師というと、悪い面での見本。


ずっと私は父を悪いものとして意識し続けてきたということだ。


ガンになって2年目の頃、そう思っていた自分が悪かったのだと気づき、父に謝りはしたがまだ反面教師だったという意識は残っていたように思う。


つまり頭では分かったつもりでいたが、意識は残っていたということだ。


今回、父の看護、そして見取りをしてそれがはっきりした。


父を悪者にすることで、自分を正当化しようとしていたのだ。


父がああだったから、私は以前こういった性格で、その結果病になった。


それに、気づいて病を治すために意識的に自分の責任だと思うようにしたと。


老いて、枯れていく父を見ていて、この人は何も悪くない。


ただ一生権懸命に生きてきただけで、それは何を隠そう家族のためであったという当たり前のことを、その時、心の底から理解できた。


今までどうして・・・


私が最後に父と交わした言葉。


「なんだか、さみしいな」


すでに声を発することができなくなっていたので筆談だった。


これまでの、争いや、怒り、そして反面教師だなんて言っていたことが悔やまれ、涙が出てきた。


これと同じように、今は悪いものを作ることで、自分を正当化することが多い。


というより、自分を美化するために、悪いものを探して作っているような気もする。


この世になかに、悪いものはない。


悪いと意識するから悪くなり、争いが起こる。


そんなことをするより、ひとりひとりの人の意識が変わればすべては変わると思う。


悪いという常識や概念に囚われた意識ではなく、本当に良いと思うことだけを自分で選択するという意識を。


以前もそんなことを思っていたが、自分のことは棚に上げていたことが解った。


謝るにも、既に父はいない。


だから、これからの人生で「善悪という意識」ではなく、「自分で何を選択するという意識」をもつことを多くの人に伝えていければと思っている。


「死は終わりではなく、始まり」4月10日

父が亡くなって一週間が経ちました。


日曜日の葬儀が終わってから今日まで様々な手続きであちこち走り回ってはいましたが気力が湧いてこず自宅に帰ると脱力感でぐったりという毎日でした。


しかし、金曜日にはワンディシェフもあり、その後も講座やセミナーと続くのでそろそろ進み出さないとね!


そんな思いで、今日のコラムを書きました。


人の死


それは終わりではなく“始まり”


その人にとっても、残された人にとっても。


亡くなった人にとっては、次の旅への始まり。


残された人にとっては、亡くなった人の一生を自分の人生に生かすと決めてのスタート。


駅伝で言えば、体を温めていた準備運動からタスキをもらってスタートする第2走者だ。


前の走者が遅れたとしても自分が挽回しようと思うのか?


もうダメだと諦めるのか?


しかし、自分の次にも次のランナー、その次のランナーがいる。


だから、順位よりもどう走るか?が大切なのだ。


私の第一走者の父は一区をどのように走ってきたかは解らなかった。


どんなスタートを切ったのか?


どんな思いで走ってきたのか?


そして、中堅地点直前になって急に体調が悪くなって脱水症状となり私はそのバトンを受け取った。


受け取る前のボロボロになった姿を見て私は父の走ってきた道のりを想像した。


たぶんタスキを渡すために必死になって走ってきたのだろう。


私はその姿を見る前は、自分勝手に、気ままに走っていると思っていた。


しかし私が今、勝手気ままに生きているように見えても、子供たちのことを思っていることと同じだったのでは?とその姿を見て思ったのだ。


人にはそれぞれ自分にあった、自分で決めた走り方がある。


それが気に入らないと言っていても、何も始まらないが、私はずっと気に入らないどころか腹を立てていた。


しかし、父はタスキを渡す直近になって、これまではまったく聞いたことになかった「ごめんな、ありがとう」という言葉をたくさん言った。


その言葉を聞くたびに私は胸が痛んだ。


父は気持ちでは思っていても、その言葉を素直に言うことができなかったということが感覚で解ったのだ。


そういう時代に生きてきた人だということも解った。


なのに、以前はガンになったのも父が原因だと思っていた。


そのことは6年ほど前に原因は父ではなく、それを原因にしてしまっていた自分にあるということを頭ではわかったつもりだったが、父からタスキを受け取って心でわかったような気がする。


人生とは駅伝のようなもので、自分ひとりで走っているようで前にも後ろにもチームのランナーがいて、走っている途中でもチームの仲間が給水したり伴走してくれているのだ。


だから、自分が走り終わったところがゴールではなく、タスキがある限り永遠に続くし、自分が走った道のりも永遠に残る。


だから私もタスキを渡すために前を向いて一生懸命に走ろうと思う。


自分にあった、自分で決めた走り方で(笑)

「父が逝きました」4月4日

ブログでも父の病のことを書いてきましたが、4月3日未明に父が帰らぬ人となりました。

先日のブログで在宅医から中心静脈の点滴での延命か、抹消からの点滴で自然死かの選択を迫られたことを書きましたが、本人の意思も聞かなければいけないと思い確認しました。


その時、父は脱水症状が進んで話すことができなくなっていたので筆談で話すようになっていました。


点滴でどれだけ持つのか「医者に聞く」という返事で


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最後に「なんか さびしいな」と書きました。

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どんな気持ちで、この言葉を書いたのだろう?


私がこの2者選択を決めかねて、父に聞いたことは良かったのだろうか?


この選択を自分の命はもうほとんど残っていないということを意識したのだと思います。


このあとは、父は眠ったのでこれが、父との最後のコミニケーションとなってしまいました・・・・


翌朝六時に点滴をするために家内が父のところに行くと、既に父は息をしていませんでした。


父の最後は眠っているようで、脈をとってみないと寝ているのか?死んでしまったかわからないような穏やかな顔をしていました。
体にぬくもりも残っていたので、息を引き取ってからまだあまり時間も経っていなかったようです。


医者を呼んで死亡確認は2時間後の7時56分

あの医者が来て自宅にいたのは2分程度、所定のことだけ淡々として帰って行きました。


その後、在宅の看護師さん2人が父の体をきれいにしてくれてベットから布団に



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その後、父が互助会に入っていた平安会館が来て、翌日4日通夜で5日告別式となりました。


昼くらいに大阪から弟夫婦が来て2日間父との自宅での時間を過ごすことが出来ました。


葬儀は83歳という年でもあるので、家族と親族、そして父と親しかった友人と晩年お世話になったご近所さんや囲碁クラブ、老人会の皆さんという方だけにお声をかけさせていただいての通夜、葬儀、告別式とした。


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認知が進み特別養護老人ホームに入居している母も両日父とお別れの対面をした。

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少人数での式としたので参列していただいた方にはすべてご挨拶や生前のお礼もできた。


母の元気な姿も見ていただくことが出来て良かったと思いました。


柩の中には、父の好きだった囲碁の本や競馬のマークシート投票券などを入れ、最後に毎日飲んでいた芋焼酎を少し口に含んで



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柩の蓋を皆さんで閉めて


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霊柩車に!



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最後の喪主の挨拶では、これまでの病の経緯と、父の様子をお話して、お礼をしてすべて滞りなく終わりました。


父は私と同じ食道癌で、見つかって2ヶ月というあっという間の最後だった。


すでに末期で食べ物も水も通過障害で口からは治療の術がないと分かり、父は自宅での自然な死を望んだが、在宅での看取りは介護や在宅医療の制度面や病院の都合でなかなか自宅に帰ることができなかったが、亡くなる一週間前に自宅に帰ることができた。

...

末期ガンであったが、痛がることも、苦しむこともあまりなく脱水症状だけで安らかに旅立った。


過度な治療は一切出来なかったのが幸いしたような気がします。


父は私にとって反面教師的な存在だったが、病がわかってからの2ヶ月で父とのわだかまりがなくなったような気がする。


親という大切な存在を頭のなかでは解ったつもりでいたが、病になってはじめて心でわかった。
情けない限りだ。


でも、父を病院に任せきりで病院での最後だったら解らなかったと思う。


生活のなかで親が老いてゆく姿を子供が見て、親の後を追って生きて行くことの繰返しがとても大切なことだとわかった。


今、はじめて父に対して心から“ありがとう“と言えたような気がする。


情けない限りだ。

「偽り」3月30日

人の為と書いて〝偽り(いつわり)”

以前、あいだみつをさんの作品を見たときには、その意味がよくわからなかった。

しかし、今はまさしくその通りだと思うようになった。

 私自身、がんになって様々な活動をしてきたが、その動機は頂いた命を人のために使おうとおもっての行動だった。

しかし、次第に「こんなに一生懸命にやっているのに・・・・・・」と見返りを求め

「どうしてわかってくれないんだ」と憤りを覚え

結局はこれまでの自分の人生を否定して、自分は変わったということを証明するために〝人のため”といっていたのだ。

そして、人のために行動している自分に酔っていた。

そんな行動をしていた結果、〝自分”が薄れてきた。

 他人のために自分を犠牲にする。

 他人の力になるために、自分も頑張る。

そうやって、知らず知らずのうちに自分の体と心に負担をかけていたのだ。

 思い返すと、ガンになる前とあまり変わっていなかった。

そんな時、体調を大きく崩した


里まちカフェ めぐみえんの閉店前後の時期だった

 よもや再発?????頭によぎった

原因は頑張しすぎて、自分の体を酷使し、人のために良いことをしているという自己満足による過信だった。

 結局は地に足が着いていないので足元が揺らぐのは当たり前。

そんなことがあって、まずは自分を大切にして、自分らしく生きることが先だと思った。

 一番身近にいる自分のために生きることを真摯に見つめた時に、他人への感謝の気持ちが湧き出て、そのお返しのために今の自分にできることを考えて実行することにした。

 他人のために行動をして見返りを求めるのではなく、自分のために行動をしてお返しをするのだ。

 私は今はこんな言葉を胸の中に生きている。

 「自分のため(を大切)に生きなければ生きてゆけない。人のため(を大切)に生きなければ生きている資格はない」

どれだけ自分を大切にして磨くかで、他人のためにできることも増えてくる。

だから無理にしなくても、そのときどき出来ることをすれば良い。

というより

自分のためと思ってやっていること=他人のためとなってしまうような生き方を選択すればいいのではないか?

たぶんそれが一番自然だとおもうようになった。


今回の父の末期ガン

今、自宅で介護をしているが、父のため、恩返し、だとは思っていない。


聞こえは悪いかもしれないが、すべて自分のため。


父への恩返し、それは私が自分を大切にすることでしかない。


私にとって、子供が自分らしく生きていくことが一番嬉しいように。


そして私は子供に恩返しなんてしてほしくはない。


ただ、この子がまっとうな人間として成長してくれることが人生の喜びだと思う。


育てて来てよかった!


最後にそう思えるのはきっとこの世を去るとき。


だからこそ、私が自分らしく生きることが一番大切なような気がする。

「看取り」3月28日

父が昨日、自宅に帰ってきた。

やっぱり家はいいなぁ~


今朝、昨夜は落ち着いて眠れたと言っていた。


子供たちも、おじいちゃんの部屋にいって「おはよう」「行ってきます」など挨拶をする当たり前のことも、父にとっては刺激になる。


改めて、挨拶やコミニケーションって大切なものだと思った。


私たち家族は、父も望んだ「自然に死にたい」という望みをできる限り叶えてあげたいと思ったから、自宅での見取りを決めた。

私たち夫婦もともに仕事もあり自宅に父一人になる時も多々あるが、それを理由にこのまま病院で何もすることもなく死を迎えるのは心が痛んだ。

もし私たちがいない時になんらかの事故があって帰ったら息を引きとっていたということも想定される。

でも、常日頃から私が言っている「人として自分らしく生きる」という視点からいえば、そのリスクを冒しても、病院のベットの上で長期間生きるより、自宅に帰ってできる限り自分らしく最後まで生きて欲しかった。

と、偉そうなことを言ってはいるが、それは家内が介護関連の仕事をしていたから出来たことで、私一人の力ではできなかった。

結局は人の力を借りないとできない。

しかし、それが自分らしく生きるためには大切なことのような気がする。

「生かされている」

その気持ちがなく自分らしくだけを尊重していれば、それは我欲でしかない。

自宅に戻ってからは、家族みんなで力を合わせ補い合って父を見ていこうということになった。

ある方がこんな動画を送ってきてくれた。

~手紙親愛なる子供たちへ~
https://www.youtube.com/watch?v=55EjDYHlMHc


ジーンと来て、とても胸が熱くなった。


人は、歳を重ね、また赤ん坊に戻っていく。


年を取るって、元いた場所に帰るということ。

そして、親が死に向かうときは自分が生きてきたプロセスを振り返り、親の存在を再認識することなのかもしれないと思った。

私がこれまで生きてきて、父のことをこんなに温かい気持ちで感じたのは記憶にある限りでは初めて。

恥ずかしい話だがこれまでは怒りや憎しみの方が勝っていたような気がする。

こんな状況になって、初めて素直になれた。

頭で考えた「素直」ではなく、心の底からの「素直」のような気がする。

元々、あまり素直な人間ではないからよくわからないが(笑)

なので、今日からはあまり予定はいれず、できる限り自宅に近いところにいようと思う。

「暗いから見えるもの」3月14日

テーマ:

いま都市や繁華街に行くと陽が沈まない街が広がる。

そして深夜のマンションや住宅街でも灯りがついている窓がとても多い。

私たちの周りを見渡してみると〝暗い”という場がどんどんなくなっているような気がする。

そして「根暗」「薄暗い」「明暗を分ける」「暗い表情」など〝暗い”という言葉があまりよくない表現で使われてしまっている。

しかし私はこの世になかで〝暗い”ものはとても大切だと思うのだ。

人はどうしても明るいものに吸い寄せられて生きていく習性がある。

それは即ち暗いものに背を向けることとなる。

なので暗いものから離れることが明るい方向に向かうことだと勘違いしてしまう。

そして暗いものから目を背けたり、排除したりする。

しかし私は、暗いものがあるから、明るいものがよく見えるのだと思う。

ずっと明るいところにいたら、気が滅入ってしまう。

バランスを保つために暗いものはとても重要なのだ。

明るい時には視界が広がり広い視野を持って行動できるが、身近な大切なものを見落としたり、足元をに躓いたりする。

しかし暗い時にはそこをきちんと見ることができる。

また灯台のように明るい時にはあまり意味がないようだが、暗い時にはなくてはならないものもなる。

私がやっている「めぐみの会」の活動も人生が真っ暗になった時の灯台になりたいと思い始めた。

私自身、がん患者会なんんて傷の舐め合いだと思っていたが、病になって暗闇がおとづれたことで初めて必要なものだとわかった。

それ以後私は〝暗い”という状態の存在価値を意識するようになった。

暗いという状態は、明るい時に見えなかったものを見るためにあるのだ。

夜の空を彩る月や星は明るい昼間には見えない。

明るい昼間に見えていた視界は、夜になると狭くなる。

日が登り沈むように、明るいものは必ず暗い方向に向かい、暗いものは明るい方向に向かう。

それが自然界の真理法則ではないかと思う。

だからこそ、もし自分が暗闇に向かったいるのだとしたら、明るい時には意識しなかったものに目を向けることが必要なのだ。

言い換えれば、明るい時と同じものを見ようとするからさらに暗闇に進み彷徨うことになる。

暗闇の中で方向を示す灯台は明るい時には意味をしなかったもの。

そしてその明かりは、目を凝らしてみなければ見えない小さなもの。

それは暗ければ暗いほど大切なものなのだ。

明るい時には見えなかったものに気付き、探すために暗いものは存在するのだと私は思う。

「捨てれば得られる」3月11日

 私は7年前、この言葉を信じてサラリーマン生活にピリオドを打った。

なんの根拠もなかったが、持っているものを手放せば楽になれるような気がした。

根拠は何もなかったがこんな話を聞いてなるほどと腑に落ちた。

癌という字は、病だれに品が山と書く。

山ほど持ったものを捨てることで治る!

こんなまったく根拠も何もない話を、ただただ信じて、辞めたのです。

まぁ根拠を求めだしたら辞められるはずはありませんけどね。

今振り返ってみると、サラリーマン当時は手にも、背中にも、頭の上にさえも抱えきれないほど荷物をもって、息を切らし、足元を与太つかせ、視界さえも持ち切れなくなった荷物がふさぎかけていたように思います。

そんな状態になってさえも、まだその荷物は持っていたほうが良いと思っていたのですから、癌になるはずですよね(笑)

この荷物を持ったままいくら頑張っても余分な力を注ぐだけ・・・


船が重たくて沈没しかかっているのに、積み込んだ荷物が大切だから捨てられずにいたら・・・・・


捨てれば助かるとは限らないが、持っているよりは可能性は上がると思い、癌になった生き方を断つと決めた、サラリーマンという大きな荷物を捨てたのです。

そのときイメージしたのは、大きな扉を閉めた風圧で小さな扉がパタパタと開く様子。

大きな荷物を海に投げ込んだら、船が軽くなって投げ込んだ荷物の波で前に進むというイメージだった。

実際はどうだったかというと、波で進みだした途端に風が吹き出した!

なんと、小さい扉だけではなく大きめのものまで開いたのです。

小さな扉を閉めたら小さな扉も開かない。

中くらいの扉を閉めたら小さな扉が開く。

大きな扉を閉めたら中くらいの扉が開く。

では大きな扉を開けるにはどうしたら良いのか?

扉を閉める勢いをつければ良いと思うようになりました。

それは持ってるものに違和感を感じたら躊躇せず思い切って決断するということ。

捨てる勇気、閉める勇気。

捨てたこと、閉めてことで、非難されたり、遠ざかっていった人もたくさんいた。

でも今振り返ってみると、そんな人たちは今持っているものを捨てられない人だったような気がする。

本当は捨てたちのだが、捨てられない・・・・


捨てたら失うものが多いと思ってるから捨てられない。


だから、捨てることを、忍耐がない、無責任だという。

しかし、それは人から信頼されていたいという事の裏返し。


でも、私はそれは自分を信頼していないことだと思った。


他人から信頼されるために、自分自身の信頼を失っていく・・・・・


それこそ本末転倒ではないか?

私はもし自分が周りのすべての人の信頼を失ったとしても、自分自身を信頼して生きていくという選択をしようと思った。

選択が正しかったか?とか、間違っていたか?とかが大切なのではなく、選択した自分を信じることのほうが大切なのだと思う。

捨ててはいけないものは、自分自身しかないのだから。

 

「健やかに生きる」3月11日

あなたはどう生きるか?

私はこう問われたら「健やかに生きる」と言うだろう。

では健やかとはどのような状態なのか?

辞書で健やかを引くと“心身が健全であるさま”とあるが、それがどんな状態なのかはよくわからない。

では私はどう生きようとしているのか?

私の生きるお手本は赤ちゃんだ。

赤ちゃんこそが〝健やか“そのもの。

よく笑い、よく食べ、よく眠る。

そして憎しみや妬み、悲しみといった邪気がない心、すなわち無邪気

あまり考えずに行動する。

だから意図や目的がないので赤ちゃんの笑顔は可愛い。

ずっとこのままでいて欲しい。

しかし、我ができ、考えることや見返りを覚えることで健やかさは欠如していく。

そして大人になったら既に健やかさはどこへ行ったやら。

顔が険しく、笑っても薄ら笑い、威張ったり怒ったり・・・・・

私も以前はそうだった。

だから今、健やかに生きようとしている。

でも多くの人はそんなふうに生きるのは出来る訳がないという。

しかし、すべての人に赤ちゃんの時期があったのだから、一度は経験しているのだ。
(記憶にはないが・・)

だから私はそこに向かう。

生まれた原点に向かう生き方。

それこそが人を幸せに、そして自分が幸せになる生き方だと思うのは私だけなのかなぁ~?

「捨てれば得られる」3月10日

 私は7年前、この言葉を信じてサラリーマン生活にピリオドを打った。

なんの根拠もなかったが、持っているものを手放せば楽になれるような気がした。

根拠は何もなかったがこんな話を聞いてなるほどと腑に落ちた。

癌という字は、病だれに品が山と書く。

山ほど持ったものを捨てることで治る!

こんなまったく根拠も何もない話を、ただただ信じて、辞めたのです。

まぁ根拠を求めだしたら辞められるはずはありませんけどね。

今振り返ってみると、サラリーマン当時は手にも、背中にも、頭の上にさえも抱えきれないほど荷物をもって、息を切らし、足元を与太つかせ、視界さえも持ち切れなくなった荷物がふさぎかけていたように思います。

そんな状態になってさえも、まだその荷物は持っていたほうが良いと思っていたのですから、癌になるはずですよね(笑)

この荷物を持ったままいくら頑張っても余分な力を注ぐだけ・・・


船が重たくて沈没しかかっているのに、積み込んだ荷物が大切だから捨てられずにいたら・・・・・


捨てれば助かるとは限らないが、持っているよりは可能性は上がると思い、癌になった生き方を断つと決めた、サラリーマンという大きな荷物を捨てたのです。

そのときイメージしたのは、大きな扉を閉めた風圧で小さな扉がパタパタと開く様子。

大きな荷物を海に投げ込んだら、船が軽くなって投げ込んだ荷物の波で前に進むというイメージだった。

実際はどうだったかというと、波で進みだした途端に風が吹き出した!

なんと、小さい扉だけではなく大きめのものまで開いたのです。

小さな扉を閉めたら小さな扉も開かない。

中くらいの扉を閉めたら小さな扉が開く。

大きな扉を閉めたら中くらいの扉が開く。

では大きな扉を開けるにはどうしたら良いのか?

扉を閉める勢いをつければ良いと思うようになりました。

それは持ってるものに違和感を感じたら躊躇せず思い切って決断するということ。

捨てる勇気、閉める勇気。

捨てたこと、閉めてことで、非難されたり、遠ざかっていった人もたくさんいた。

でも今振り返ってみると、そんな人たちは今持っているものを捨てられない人だったような気がする。

本当は捨てたちのだが、捨てられない・・・・


捨てたら失うものが多いと思ってるから捨てられない。


だから、捨てることを、忍耐がない、無責任だという。

しかし、それは人から信頼されていたいという事の裏返し。


でも、私はそれは自分を信頼していないことだと思った。


他人から信頼されるために、自分自身の信頼を失っていく・・・・・


それこそ本末転倒ではないか?

私はもし自分が周りのすべての人の信頼を失ったとしても、自分自身を信頼して生きていくという選択をしようと思った。

選択が正しかったか?とか、間違っていたか?とかが大切なのではなく、選択した自分を信じることのほうが大切なのだと思う。

捨ててはいけないものは、自分自身しかないのだから。

「転ばぬ先の杖」2月28日

がんがこれだけ多くなっているのに、多くの人はなってからしか“がん”のことには関心がない。

「なってからでは遅いということが多いのに」

そんな現状を「転ばぬ先の杖を付く人はほとんどいない」という話をある方としていた。

その方は健康食品のお店をやっていて「病気になる前に食べ物を変えたほうがいい」という話をして頭で分かって頂いても実際に行動に移す人はほとんどいないというのだ。

私もがんの患者会をやっている当時、がんになってでさえ食事や生き方を変えることは難しいのにましてや転ばぬ先の杖なんて付けるはずがないとよく話していたことを思い出す。

でも今は少し考え方が変わった。

「転ばぬ先の杖をつく」の意味は、何かを始める前には、失敗しないように準備や用意をしっかりするのがよいということ。

ここで大切になることがある。

当たり前だが、普通に歩けるときに杖をついていたら歩き難いし、荷物にもなる。


また、つまずきたくない!と言って杖をつきすぎて、本当に杖が必要になってしまったなんて人もいる。


大切なのは、“転ばぬ先の杖”を付くという行動ではなく、杖がいらない人生を送るための決断、そして行動ではないか?と思う。

決断をしてから、行動するための準備や行動をするのならいいが、決断もしないでもしものための準備や行動をする人があまりにも多い様な気がするのだ。

こんなことを書くと、もしもの時の準備や用意をしなくて進んで転んだらどうする?と言われる方もたくさんいると思う。

それも一理ある。

しかし、私は「転んだらそこにお金が落ちていた」という経験が多々あった。

そして拾ったものを資源として起き上がり、また進んでいる。

すると、転ぶことにも意味が出てくる。

というより、転ばなければ今の私はなかったと思うのだ。


言い換えれば、転んだからこそ今がある。

そもそも杖は必要な人がつくものであって、普通に歩ける人には必要がない。

必要となった時に、杖を使えばいいのだ。

そして、杖が不要になるように進めばそれでいい。


だから、めぐみの会  は、転んだ人のための杖も用意している転ばないための会なのだ。

普通に歩ける人が転ばぬ先の杖をつく必要はない。


そして、もし杖をついたとしても常に頼って行動しなければ一生杖から離れられなくなってしまう。

「めぐみの会」  が目指すのは、杖が必要になった患者さんの杖になることではなく歩けるようになるためのリハビリ用の杖を貸しながら一緒に自分で歩く練習をすることなのだ。、

私は”転ばぬ先の杖”が大切なのではなく、転んで必要となった人のために貸す杖と伴走者は必要なのでと思う。

転ぶ前に転ぶことを恐れて考えていたら前には進んでいることにはならない。

だったら進みながら考える方が、止まって考えるより、前に進む度合いも早いし、進んだ自分の位置で考えることができるのだ。

つまり止まっていれば景色は変わらないので頭の中だけで考えることになり、いつまでも決断なんて出るはずもない。

転ばぬ先の杖を付くより、転んだとしても動いていれば、その都度景色も変わるし、考えることと行動することの時差が少なくなるので更に景色も変わり楽しさやワクワク感もますのだ。

「答えは1つではない」2月26日

がんになったとき多くの人は、どんな治療法がいいのか?

どんなサプリが効くのか?

どんな食事をしたらよいのか?

など正解という”答え”を求める。

その理由は「答えを出す」それが現代の教育であり、社会のあり方だから。

そして、その結果が○か×で評価され、○=正解、×=不正解となる。

しかし、本来答えとは返事、返答のこと。

返す事が答えなのではないのか?

そこに幾通りもの返事があるからこそ答え。

なのに一つが正しく、それ以外は間違い。

そして間違った答えを出した人は評価されない。

学校のテストで、雪が解けたら?の答えに”水”ろ答えれば正解で、”春”と答えれば不正解。

だからほとんどの人は”水”と答える。

でも、どっちの答えのほうが心を和ませ、明るい未来を感じるのだろいうか?

すべての現象に結果をつけるのは私たち人間。

その結果に一つしか正解がなかったら・・・・・・・

なので、心の病や犯罪が増えるような気がしてならない。

理性より、感性。

それが生きているということではないか?

答えは理性で求めるではなく、感性で求めることが自分らしさであり、自然・・・自ら然るべき姿。

一つの問いに対して、どれだけの答えを創造でき、その答えを正解にするためにどれだけの行動ができるか?

それが結果であり、正解でも不正解でもない。

不正解。

それは行動が足りなかっただけのこと。

正解を作るのは”自分”

自分が正解であれば、他人がすべて不正解といおうと正解なのだ。

間違ったことが正解になることさえある。

答えは自分でつくる。

そのために行動する。

そして、正解を求めて行動し続ける限り、不正解はない。

それが答えだと思う(笑)

「父の病が教えてくれたこと」2月25日

先日からこのブログでも父の病のことを書いていますが、今日は私と父との関係について書こうと思います。


私は父を反面教師として生きてきて、がんになった原因の根源となっていたのも父への確執でした。


なので正直、父の命があまり長くないと聞いたとき、なんだか複雑な気持ちでした。


感情だけで捉えると、どうしてもいつも偉そうに言っている「愛や感謝そして慈しみ」というプラスの感情がほとんど出てきませんでした。


やっぱりこれまでは、頭で「父に感謝しなければ、慈しみの気持ちを持たなければ」と考えていたのです。


しかし、病院で横たわり、「もうやるべきことはやったので、自然に死にたい」と言い死を覚悟した父を見ていて思ったのです。


「親が子が生まれたときに思う気持ちと、子が親を見送る時の気持ちはよく似ているのでは?」と


親は生まれて自分では何もできない赤ちゃんをみて愛情や感謝、慈しみという気持ちが生まれることで子供は育つことができます。


そして、その親が老い死を迎え徐々に自分では何もできなくなったとき、子は親に対して愛情や感謝、慈しみという気持ちが生まれ親は安らかに死を迎える・・・・


父とは下の子供が生まれた時に同居しました。


しかし、当時は父も元気で元々反面教師として父を見ていた私は顔を合わすのも嫌で、無意識にできるでけ父を避けるようにしていたような気がします。


ではどうして同居したか?というと、父に虐げられてきた老いてきた母を見てあげたいと思ったからです。


そんなことで、同居するとやっぱり父とは反りが合わあない・・・・


それが、私がガンになった原因の一つでもありました。


その原因を解消するために、がんになって2年目に父にこれまでの思いをすべてを話し、そんな思いを持っていた自分が悪かったと謝りましたが、今思うとそれは頭で考えてしたことであって現実には自分の心の奥は変わっていなかったことに今になって気づいたのです。


でも、あの時はそれが精一杯のできることだったし、自分自身の無意識の行動や気持ちの出処がわかっただけでも楽になったし、父に対する怒りの気持ちや不快感も薄れていったのでした。


そして、今 死が間近に迫って肉体的にも精神的にも衰えた父を見て不思議に“慈しみの心”と“感謝の心”が湧いてきたのです。


ここ一年くらい、同居していたので父の老いは目立ってきていて、食事の用意をしたり、気にかけることが多くなってくるに従って、徐々に父から「悪いな、ありがとう」という言葉が出るようになりました。


きっと、元気なうちは息子に弱みを見せたくなかったのだと思いますが、体がついてこなくなり気持ちも変化してきたのでしょう。


なぜだか、そんな父親という存在が無意識に自分とダブったものとして浮き上がってきたのです。


そうなったとき、私は頭の中で父へのわだかまりは取っていたので、行動としてあれこれできました。


そんな経過を経ての私と同じ「食道がん」


家内は日中仕事に出ていることが多いので、病院での診察や検査、入院後の病院通いなど父との時間を結構多く持って過ごしています。


きっとそれが先にも書いた、親が子を見守る姿と同じ感覚での、子が親を見守る姿なのだと感じました。

親がいて子が存在する。


そしてその子が親になり、子を育て老いてゆく。


その過程の中で沸き起こってくるものが「慈しみや感謝」という感情のような気がしました。


今の時代、高度成長に伴って核家族化になるに従い親子や家族との関係性が希薄していまったことが「慈しみや感謝」が失われてしまった大きな要因なのかもしれませんね。


また、もし父が手術、抗がん剤、放射線などの治療ができていたら“老い”ではなく“戦い”になっていたような気もします。


そう思うと、これも今の時代の医療も「慈しみや感謝」という感情を薄れさせてしまっている要因なのかもしれません。


こんなことを書くと、親が死に向かっているのに不謹慎と言われるかもしれませんが、このような状態になった父が治療ができないという結果で良かったと思います。


だって、こんな状態になっている老いた父に「頑張れ!」なんていうことはやっぱり酷だと思うのです。


そんななか、がんセンターではやることがなくなったので、今日父は自宅近くの病院に転院となります。


とはいっても、このまま病院で最期を迎えるというのは余りにも寂しいので、私たち家族は話し合って、このまま病状が安定していたら来週介護認定調査を病院で受けて自宅で看護や介護できる体制を整い次第自宅へ連れて帰ることにしました。


今後、病状がどのように変化していくか?をわかりませんが、出来る限り住み慣れた自宅でゆっくり過ごせてもらえたら嬉しいです。


そう思って振り返ると、私と父が同じがんになったと言うこと自体に意味や必然性を感じます。


やっぱり、病ってきちんと紐解けば、大切なことを教えてくれるし、自分を映し出して幸せに導いてくれるものなのかもしれませんね。


「父が食道がんに」2月21日

父が私と同じ「食道がん」になった。


父は今私たちと同居をしているが、先月の下旬から食欲不振ということで何度か近くの総合病院に連れて行った。

最初に訴えていた症状が「息苦しいとか動悸がする、下腹部が詰まっているような気がする」というものだったので、循環器内科の受診をして上半身と下半身のCTやエコーの検査をしたが、首の動脈が詰まっているが年齢の割にはとっても健康ということだった。


しかし、食欲は一向に戻らないので症状をよく聞いてみると、食べ物が胸のあたりで詰まるような気がするということだったので、再度検査した病院に行くと、消化器内科に回された。


すると、消化器内科の先生が先日撮ったCTを見るなり、「明日胃カメラの検査をして検査後すぐ結果を伝える」と言われた。


この時、私は「これはもしかしたら癌?」と感じた。


それは、8年前の自分の時と同じでバリウム検査の翌日電話がありすぐ胃カメラ、検査結果という流れであっという間にがん患者だった。


そして、翌日胃カメラの検査を受け直後に先生から「食道がん」と宣告されそのまま入院となった。


まさか、親子揃ってとは・・・・

でも順番が逆?ドクターにも言われた(笑)


食道がんはそんなに多くはない癌なのにと思ったが、なんだかとても頷けた。


織田家の食卓は私が物心着いた時からずーと肉・魚中心で油もいっぱい使っていた。

また、お茶や飲み物は熱くてチンチンでないといけない。


夕食はご飯は一番最後で毎日晩酌という食卓だった。


私は物心付いたときからこのような食生活だったが、父は昭和7年生まれなので戦争を経験して食べものがない時期に成長して私が生まれた頃からこのような食生活になった。


そう思うと、私は特急列車で、父は鈍行列車というだけで結局は行き先は同じだったと思った。


遺伝だったら逆にはならないような気がする。


やはり生活習慣がガンを作る大きな原因だと改めて思った。


そんなことで、父は「食道がん」だった。

「自分と他人」2月20日

自分と他人の関係ってなんだろうか?

以前私は、自分以外の人を他人だと思っていた。

しかし今は自分とは他人から成ってると思うようになった。

私たちの思考や知識そして言葉はすべてが他者の教えなのだ。

そして自分はそれを選択しているだけなのだ

つまり様々な他人からの情報のなかで自分が選択したもので自分がある。

そしてその選択の基準でさえ他人からの教えでしかない。

ではいったい自分って何なんだろうか?

私は他人を意識するのではなく、自然を意識することで自分のぞんざいを意識できるような気がする。

他人の中では比較が生ずる。

しかし、自然のなかでは自分もその一部という存在でしかない。

つまり比較という言葉すらない。

自分は他人であって自分ではない。

そべてのことを、そんな形で自分というフィルターを通さず考えればすべては愛おしいものとなるような気がする。

それは自分を固執することで憎しみや恨み悲しみを生むことにつながる。

だからこそ、自分と他人の区別をなくすことが大切なのかもしれない

「感情の出処」2月17日

私たちは多くの場合、感情にしたがって行動をしています。


好きという感情で愛を表現する。


悲しいという感情で泣く。


怒りという感情で暴言を吐く。


怖いという感情でパニックになったり、身動きが取れなくなる。等々


そして、この感情と行動の関係は条件反射的になっている場合が多々あります。


というより、多くの人はこれを当たり前だと思っているのです。


私も以前はそう思っていました。


しかし、あるとき感情は行動が作り出しているのではと思うようになったのです。


感情が発生するためには、現象が必要です。


目の前に人が映るから好きという感情が生まれる。


つらい出来事がおこるから悲しいという感情が生まれる。


自分の思い通りにならない出来事があるから怒りが生まれる。


予測が付かない出来事が起こるから怖いと感じる。


そして、知らず知らずのうちに現象=感情という経路が出来上がってしまっています。


しかしこの場合の現象の多くは、自分の意識によって感情が生まれているような気がするのです。


私は8年前に癌になりましたが、ほとんどの人は癌=死という意識があるから怖いという感情を発生させパニックになります。


しかし私が8年前癌を宣告されたとき、どうしようか?これからどうなるのか?という不安はありましたが、り怖いという感情はありませんでした。


その理由は癌は切れば治ると勝手に思っていたからです。


しかし即入院をしなければいけなくなって、今までと同じ行動ができなくなったことで、このままここから帰ることができずに死ぬのではないかという怖いという感情が生まれたのです。


つまり多くの感情は実際の出来事や現象とは関係なく、自分の意識や行動によって発生していると思うのです。


愛するという行動が人を好きにさせる。


泣くという行動が悲しくさせる。


暴言を吐くという行動が怒りを発生させる。


パニックになるという行動が恐怖を発生させる。


では、そうならないためにはどうしたらいいのか?


私は、感情と行動の間に選択という意識を持つようにしました。


悪いことが起こったとき、それは良いことだという意識を選択をするのです。


私は癌になって一時はパニックになりました。


しかし、恐怖という感情との間に「癌になって良かったと思える選択」を入れて行動したのです。


すると徐々に怖いという感情が薄れ、本当に癌になって良かったという感情が生まれだしました。


先にも述べたように行動が感情を作り出したのです。


またこの選択という意識によって新しい自分に成長することができました。


感情に流されずに行動との間に「選択」を入れることで、まったく違った感情を生み出すことができると思うのです。


そうなったら、悪い感情なんて生まれるはずがない。

私は今それを実証するための一生懸命「選択」をしながら生きているのです。

「信頼するとは?」2月8日

信頼していたのに裏切られた!

サラリーマン時代には部下を信頼していtのに、上司を信頼していたのに・・・・

なんてことがよくあった。

しかし病になって気づいたことがある。

他人を信頼するということは、まず信頼した自分を信頼しなければいけないと。

様々な療法や健康食品などを漁りまわった時期もあったが、その当時は常に「本当に信頼できるものか?」を求めていた。

しかし同じことをやっていても、よくなる人もかえって悪くなる人もいるのだ。

この違いは何か?

「信頼」だと思う。

信頼とは信じて頼むと書く。

信じるということは真実と受け取ること。

ようはどんなことでも自分自身がそれを真実と受け取ることから信頼は始まるのだ。

そして信頼したら、ただ見守る、ただ行動するのみ。

そもそも、この世の中に真実なんてないので、ほとんどの場合は信頼できない状態から始まり、信頼するための何らかの行動があって初めて信頼は生まれるのだと思う。

最初から信頼出来るなんてものあるはずがない。

つまり、何かを信頼するためには、まずは自分の決断を信頼しなければいけない。

たとえその結果が思ったようにならなくても、その結果はすべて自分の責任。

裏切られたなんてことは有り得ない。

勝手に信頼したのは自分なんだから。

だから自分自身を成長させるために私たちは生きている。

人を信頼できる自分になるために。

「選択の自由」2月4日

私たちの人生は選択によって成り立っている。

現在の自分は”すべて選択の結果”なのだ。

しかし、今の時代多くのことを無意識のうちに選択してしまている。

その無意識の選択は常識によって成り立っている。

常識が選択の余地をなくすといっても良い。

それは自分で選択すること放棄して、常識に流されるということ。

すると、向かっていく方向は常に同じで、今の自分変えることはできない。

その状態は常識の範囲の中にいることで、決して本当の自由とはいえない。

まさに“鳥かごの中の鳥”なのだ!

本当の自由は、常識に囚われず自分の主観で選択することで得られるのだ。

これを帆船に例えると、選択とは帆の張り方のようなもの。

同じ風が吹いていても帆の張り方ひとつで進む方向を変えることができる。

帆の張り方を変えなければ、風の向く方向にしか進めない。

多くの人はこの状態・・・・

そしてそんな状態を、社会や経済という風の向きが悪いと風の批判ばかり言っているのではないのか?

帆の張り方を変えるには、風向きに抗わなければいけないので相当の労力を伴うし、風を読んで自分で張った帆なので思ったように進もうと進むまいと自分で責任を取らなければいけない。

帆の張り方を変えずに、風向きにあわせているだけでは自分は何もしなくて良いので簡単に進んでいける。

そしてなんの努力もせずして、進んでいく方向が悪ければ責任逃れや批判をする。

自分では何も選択をせずして自由を主張する。

しかしその自由は風任せで進む船の中の自由でしかないのだ。

本当の自由とは、風向きや水の流れに囚われず、大海の中を自由に進むために帆を張ることだと思う。

私も最初は大海の中でどうやって帆を出したら良いか解らないし、出したにしてもどっちに進むかはわからないしで不安も多々あったが、慣れてくると何処でも進めるようになるので結構楽しい。

一番楽しいのは、常識と言う風を吹っ切って進むとき。

これは一度やったらやめられない。

常識の外に、そんな自由があるなんて思ってもいなかった!

そう思えるようになったのは、常識という狭い鳥籠の中で生きるよりも、非常識という無限の可能性のなかで生きるという覚悟をして一歩踏み出したからだと思う。

どうしてそんなことができたのか?

がんになったからだ!

ガンが私に勇気と行動を与えてくれたことで、今生きている自分を感じることができる。

その今こそが「あー癌になって良かったなぁ~」と思う瞬間だ。

「手段」1月31日

一つの目的を達成するための目標や手段は無限大にある。

私も癌になって以来、「人が自分らしく生きることができるような世の中にしたい」という目的ができた。

その目的を達成するための手段が、ガン患者さんの支援であり、食であり、自然栽培。

そう、そのすべてが手段であり目的ではないのだ。

なので、一つのことだけにとらわれずに四方八方に手を伸ばす(笑)

でもそれを他人がみれば・・・・・・

いったいなにをしたいの?

一つのことを全うできないのに何をいっているんだ!

多くの人に怒られるかもしれないが、私にいわせれば、それは自己満足であり我。

人間、自分でできることなんて限られている。

しかし、その選択肢は無限大。

一つの結果を出すのに一番早いのは直線だが、道は直線以外にも幾通りもある。

そして、目的地に自分がたどり着かなくても、誰かがたどり着けばそれでいい。

なのに多くの人は自分の目標を達成できたか?を人生の結果としてとらえる。

私のとってそんなことは、癌になったときに捨てた。

いつ再発して死ぬかわからない私に目標も、そこにいくまでのプロセス(計画)も足枷でしかなかった。

だって、それをする事は不安や恐怖そして怒りや焦りを生むだけなのだ。

楽しむゆとりがなくなる。

私たち人間ができること、その意味は「つなぐ」ことではないか?

野球でいえば中継ぎ。

それに徹することが自分の役割であり、今自分がおかれた環境のなかで唯一できること。

先発が点を取られたとしても、リリーフが逆転をされたとしても、やるべくことに全力投球して淡々とつなぐことで勝機は見えてくる。

ただそれだけ。

注目されるのは先発でありリリーフだが、人生にとっては生まれたときと死ぬときでしかない。

大切なのはその課程でどう生きていくのか?どう生きたのか?中継ぎとしての役割なのだ。

それが自分の生きた結果。

試合の結果はリリーフを信頼してつなげればいいだけのこと。

それができて初めて地に着いた結果がでるのではないか?

ペナントレースの優勝であり日本一なのだ。

大きな目的のために、、今自分のできることをやる。

中継ぎが、先発やリリーフを命ぜられても、ただできることをやればいいだけ。

私たちが生きていること自体が目的ではなく手段だと思う。


「幸せへの近道」1月29日

先日がんになったことを忘れることが幸せになるための近道ということを書いたが、がんに限らず「忘れる」ということは幸せになるために人間に与えられた機能のような気がする。

もちろん「覚える」という機能も大切だが、どんな器にも入る容量というものがある。

今の時代はその入れる方ばかり重視して、「健忘症」「痴呆症」などといって忘れることは良くないことのように言われてしまっている。

何を隠そう私も忘れがひどい。

覚えることも苦手だが、さらに忘れる方に拍車がかかって、どんどん空っぽになっていっているようだ。

きっと脳味噌が少なく記憶の許容量も少ないのかも?なんて思っている(笑)

でも、覚えたことをず~と覚えていたら?

いやな思い出、憎しみ、悲しみ、苦しみ・・・・・

人は不幸になってしまう。

忘れられたらどんなに楽か?と思うこともたくさんあるはずだ。

そうは言ってもなかなか忘れられないというのが人の常。

私は思う。

だから、生きている今に集中するのだ。

過去に囚われているから忘れられない。

腰椎にがんが転移して絶対に自分の足で立つことが出来ないと言われた方が、自分の身の回りのことは自分でやろうと必死になって動こうとした結果、歩けるになった。

乳ガンの手術の後遺症で右手がまったくあがらなくなった女性がご主人が亡くなったことで、子供たちを育てていくために果樹園の仕事を必死でやっていた結果、普通に動くようになった。

私の母は認知症だが、2年ほど前脳梗塞で救急搬送され左に麻痺が残ると言われたが、倒れたことも麻痺があることも忘れて動こうと必死になった結果、麻痺はまったく残らなかった。

母は救急搬送された日に半身がきかないことも忘れてベットから動こうとして2回もベットから落ちた。

これらのケースはすべて、リハビリという直すためにする行為ではなく、「今、生きるため」にした行為。

つまり、これから生きていくという未来のために必死になることで、今が知らぬ間に過去を越えていて、未来が変わったということ。

言い換えれば、過去に囚われた今かあったら、未来は変わらないということなのだ。

それは、がんに限ったことではない。

悪くなったときに、過去の良かったことを思い出すのも良いことではない。

そんな過去をとやかく考える前に、今という生きているこの瞬間に生命エネルギーを集約すれば自然と過去は忘れてしまう。

そしてそれが結果として幸せになるための一番の近道だと思うのだ。

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